沖縄からの警告
「復帰すると、沖縄にも雪が降る」と子供たちは信じていた。「大人たちがあんなに騒いでいるのだから、何らかの目に見える変化があってしかるべきだ」と子供たちは期待した。これは、「復帰」のとき小学校4年生だったという新城和博さんの回想です(同氏稿『郊外化と植民地化の狭間で』「世界」6月号から)。
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「復帰すると、沖縄にも雪が降る」と子供たちは信じていた。「大人たちがあんなに騒いでいるのだから、何らかの目に見える変化があってしかるべきだ」と子供たちは期待した。これは、「復帰」のとき小学校4年生だったという新城和博さんの回想です(同氏稿『郊外化と植民地化の狭間で』「世界」6月号から)。
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5・15は、沖縄がアメリカ軍の占領から解放され、「祖国復帰」した日から40年目の節目の日となります。1972年5月15日、「核抜き・本土並み」を基本方針に、沖縄が日本に返還されました。しかし、核兵器は秘密裏に持ち込まれ、アメリカ軍専用施設面積のほとんどが沖縄に集中するという状況は変わらず、「核抜き・本土並み」という基本方針は、全くの欺瞞であったことが明らかとなりました。
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高崎市郊外の農村に住んで20数年たちます。この間、地域の人びとの仕事や暮らしに、大きな変化はみられません。ほとんどの農家は、狭い田畑で自家用の米や野菜をつくり、一部の農家が、農産物直売場へ野菜や農産物加工品(手打ちうどん、漬物、梅干、餅など)を日常的に出荷して、現金収入を得ています。市場出荷をするほどの規模を有するのは、椎茸の原木栽培農家くらい。20年前も現在も、ほとんど変わることがありません。
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