ゲルニカからファルージャへ
数年前、マドリードのレイナ・ソフィア美術館で、ピカソのゲルニカを観ました。大きな絵の前には、スペイン国内外からの訪問者が、ゲルニカに込められたピカソのメッセージを読み解こうと、ある者は立ち止まり、ある者は床に座り込み、じぃーっと長い時間をかけて、時には絵に見入り、時には視線を宙に浮かし、そして再び絵に戻って、考え込んでいます。
乳呑児の亡骸を抱き慟哭する母親。胸はだけ素足で逃げ惑う女。両手を挙げ眼剥き絶叫する娘。馬嘶き牛茫然と佇み鳥涙す。灯りは暴力を赤裸々に照明する。地に倒れた兵士の左手には折れた剣と一本の小さな花。
1937年、ナチスドイツによる無差別爆撃により、スペインの古都ゲルニカの市民3000人が、虐殺されました。その直後、ピカソは激しい怒りを込めて、1ヶ月余の短期間に、大作『ゲルニカ』を描き上げました。
イラクの古都ファルージャ。昨年の4月と11月、アメリカ軍の無差別爆撃により、6000人以上の人々が、犠牲となりました。最近のイタリアのテレビドキュメンタリーで、アメリカ軍が、化学兵器(白リン弾)を使用したことが報道されました。インターネットのサイトで、犠牲者たちの酷い死体が、映し出されています。
Where's the New Picasso? Fallujah,the 21st Century Guernica by Saul Landau
東京駅の近く、丸の内OAZO1階のロビーに、現物大の『ゲルニカ』(陶板レプリカ)が掲げられています。その隣りの大型のプラズマ・ディスプレィには、いつも、日経の株式情報が流されています。