フィレンツェへの旅 その3
『地球の歩き方』の奨めに従って、アカデミア美術館やウフィーツィ美術館とともに事前予約を取っていたのが、この修道院でした。既に人々の長い行列ができていた開館前のアカデミア美術館を通りすぎ、急ぎ足で聖マルコ美術館へと向かったのですが、こちらの方は行列どころか入場者自体、ほとんどいないような様子。予約は不要でした。
修道院の中は、ひっそりとして静かでした。
この修道院は、フラ・アンジェリコの美術館です。15世紀前半に活躍したフラ・アンジェリコは、聖マルコ修道院に属した敬虔なカトリック修道僧でした。彼の作品の多くが、この美術館に収蔵されています。
まず『十字架降下』(1433-34)が目を引きました。キリストの十字架からの降下という、大変分かり易い題材。登場する人々の役割と動作は、簡明です。
キリストの身体は、鞭打たれ傷だらけです。右わきの槍で刺された傷口からは、赤い血が、身体を伝わり滴っています。十字架から大量の血が、大地に流れ落ちています。しかし、キリストの死に顔は、穏やかです。こんなにも穏やかなキリストの死に顔は、他に例があっただろうか。
黒の着衣をまとった聖母マリアは、嘆き悲しむ女たちに囲まれて、跪いて両手を組み、首を少し傾け、固く口を噤んだまま静かに祈っています。画面の右側には男たちがたたずみ、そのひとりは、キリストを穿った3本の釘と茨の冠を手にしています。
磔刑という残酷図ですが、悲しみのなかに沈黙と瞑想が支配し、静かな雰囲気を漂わせています。そして赤と黄を基調とした鮮やかな色彩が、静かななかにも、何かしら画面全体に、一種の華やかさを演出している様に見えました。あるいは修復されたのか、500年の歴史を感じさせない見事な色彩でした。そう言えば中庭回廊の一角で、一人の青年が、フレスコ壁画の修復作業をしていました。
『受胎告知』(1450)を観た時、一瞬でしたがドキドキしました。昔から胸に暖めてきていた大切なものに、再会した気分でした。フラ・アンジェリコといえば、高校時代の世界史の教科書に『受胎告知』の写真があったのではないか、と思います。あるいは、カトリック教会の司祭館の壁に、飾ってあったのかもしれません。私にとっては、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』やミレーの『落穂拾い』などと同じぐらい著名な西洋画なのです。
見詰め合う聖母マリアと大天使ガブリエル。大天使がマリアに、神の子を身ごもった事を告げた直後なのでしょうか。ともに、口許と目許には、静かな沈黙感が漂っています。しかし、大天使の確信ある使命感に満ちた表情に対して、マリアの顔の表情には、穏やかな静けさの中に、驚きと戸惑いが感じられます。庭に咲く小さな花たちは、喜びの表現なのでしょうか。
これら二つの作品には共通して、「静謐」という言葉が、最も相応しく感じました。そして、聖マルコ修道院そのものが、「静謐」そのものでした。
修道士たちの瞑想と黙想の場に相応しいフラ・アンジェリコの作品の中にあって、ただひとつ大変凶暴な絵がありました。『嬰児虐殺』(1451ごろ)。
凶暴な黒い軍服の兵士達が、母親に抱かれた幼子達に、襲い掛かります。母子の恐怖と絶望が、画面一杯に広がります。こうした虐殺の様子を、王冠をかぶったヘロデ王が、建物のテラスから見下ろしています。旧約聖書と新約聖書から抜粋された35の物語のひとつ。40㎝四方の小さな画面に、細密画のように細かく描き込まれています。
修道院の売店で『受胎告知』の複製画を買い、サン・マルコ修道院を後にしました。
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