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2006年2月 5日 (日)

フィレンツェへの旅 その3

聖マルコ修道院

 『地球の歩き方』の奨めに従って、アカデミア美術館やウフィーツィ美術館とともに事前予約を取っていたのが、この修道院でした。既に人々の長い行列ができていた開館前のアカデミア美術館を通りすぎ、急ぎ足で聖マルコ美術館へと向かったのですが、こちらの方は行列どころか入場者自体、ほとんどいないような様子。予約は不要でした。
 修道院の中は、ひっそりとして静かでした。
 この修道院は、フラ・アンジェリコの美術館です。15世紀前半に活躍したフラ・アンジェリコは、聖マルコ修道院に属した敬虔なカトリック修道僧でした。彼の作品の多くが、この美術館に収蔵されています。
 まず『十字架降下』(1433-34)が目を引きました。キリストの十字架からの降下という、大変分かり易い題材。登場する人々の役割と動作は、簡明です。 
 キリストの身体は、鞭打たれ傷だらけです。右わきの槍で刺された傷口からは、赤い血が、身体を伝わり滴っています。十字架から大量の血が、大地に流れ落ちています。しかし、キリストの死に顔は、穏やかです。こんなにも穏やかなキリストの死に顔は、他に例があっただろうか。
 黒の着衣をまとった聖母マリアは、嘆き悲しむ女たちに囲まれて、跪いて両手を組み、首を少し傾け、固く口を噤んだまま静かに祈っています。画面の右側には男たちがたたずみ、そのひとりは、キリストを穿った3本の釘と茨の冠を手にしています。
 磔刑という残酷図ですが、悲しみのなかに沈黙と瞑想が支配し、静かな雰囲気を漂わせています。そして赤と黄を基調とした鮮やかな色彩が、静かななかにも、何かしら画面全体に、一種の華やかさを演出している様に見えました。あるいは修復されたのか、500年の歴史を感じさせない見事な色彩でした。そう言えば中庭回廊の一角で、一人の青年が、フレスコ壁画の修復作業をしていました。
 『受胎告知』(1450)を観た時、一瞬でしたがドキドキしました。昔から胸に暖めてきていた大切なものに、再会した気分でした。フラ・アンジェリコといえば、高校時代の世界史の教科書に『受胎告知』の写真があったのではないか、と思います。あるいは、カトリック教会の司祭館の壁に、飾ってあったのかもしれません。私にとっては、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』やミレーの『落穂拾い』などと同じぐらい著名な西洋画なのです。
 見詰め合う聖母マリアと大天使ガブリエル。大天使がマリアに、神の子を身ごもった事を告げた直後なのでしょうか。ともに、口許と目許には、静かな沈黙感が漂っています。しかし、大天使の確信ある使命感に満ちた表情に対して、マリアの顔の表情には、穏やかな静けさの中に、驚きと戸惑いが感じられます。庭に咲く小さな花たちは、喜びの表現なのでしょうか。
 これら二つの作品には共通して、「静謐」という言葉が、最も相応しく感じました。そして、聖マルコ修道院そのものが、「静謐」そのものでした。
 修道士たちの瞑想と黙想の場に相応しいフラ・アンジェリコの作品の中にあって、ただひとつ大変凶暴な絵がありました。『嬰児虐殺』(1451ごろ)。
 凶暴な黒い軍服の兵士達が、母親に抱かれた幼子達に、襲い掛かります。母子の恐怖と絶望が、画面一杯に広がります。こうした虐殺の様子を、王冠をかぶったヘロデ王が、建物のテラスから見下ろしています。旧約聖書と新約聖書から抜粋された35の物語のひとつ。40㎝四方の小さな画面に、細密画のように細かく描き込まれています。
 修道院の売店で『受胎告知』の複製画を買い、サン・マルコ修道院を後にしました。

2006年2月 4日 (土)

フィレンツェへの旅 その2

ドゥオーモのクーポラ
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母大聖堂・ドゥオーモ)の内陣を見た後、ブルネレッスキ作のクーポラ(円蓋)に上ることにしました。旅の初日でもあったので、ドゥオーモの内陣から見上げた高さ100メートル近くもあるというクーポラに、元気良く上って行きました。二重壁の間に築き上げられた500段近くあるという狭い階段を、ひたすら上っていきますと、途中、内陣を眼下に見下ろすクーポラの基部に巡らされた歩廊に出ました。この歩廊は、垂直の壁と円蓋の付着部に円周状に設けられた通路で、金網の防御柵があるため、高所恐怖症気味の私でも、なんとか歩くことができました。本心は、さっさと通り過ぎたいところでしたが、内陣から遠くに見上げていた丸天井のフレスコ画、ヴァザーリ他作の『最後の審判』が、手の届くような近くに見えるので、顔を引きつらせながらも、天井を見上げました。描かれた『審判』のそれよりも足もとの恐怖のほうが、切実な一時でした。画家たちは、大層大掛かりな櫓を組んでこれらのフレスコ画を描いたのだろうけれど、高所恐怖症の画家はどうしたのかなあ、なんて余計な心配をしながらの名画鑑賞でした。
 クーポラ頂上の展望台は、世界各地からの観光客で一杯でした。欧米人に交じって、アジアの人々も多い。とりわけ中国の旅行客が、目立ちました。眼下には、フィレンツェの街が、広がっています。今日から5日間滞在するフィレンツェの街を、ゆつくりと鳥瞰しました。遠くには、街を取り巻くように、なだらかなトスカーナの山並みが、眺望できます。フィレンツェへ来たとの実感が沸きます。
 展望台から降りての帰路、再びクーポラ基部の歩廊に戻ってきた時、下方の内陣の一角から、女声合唱による聖歌が聞こえてきました。薄暗い大聖堂の天井に近い地点に佇んでいて、足元の低い底から聞こえてくる美しく透明な歌声に、耳をすましました。合唱の後拍手がありましたから、ミサではなくコンサートだったのかなと思います。旅の最終日のヴェローナでのオペラに、胸踊る感動を覚えたのですが、この旅行初日のドゥオーモの女声合唱は、思いがけなく静かな喜びを、胸の奥深くに刻んでくれました。

2006年2月 3日 (金)

作家還暦の頃 その1

 年明け早速、お気に入り作家たちの、還暦の頃の作品を読み始めました。                                                                                                                                                       

 最初の作品は、谷崎潤一郎『細雪』(1942~48年執筆・発表、56~62歳)。華麗で優雅な時が流れます。それは、三人の姉妹が、花やかな和服で着飾って、花見や音楽会や蛍狩りに出かける時、一段と映えるのでした。広沢の池の花見の場面が、印象的です。しかし、時代は日中戦争さなかにあり、主人公たちの花やかな生活にも、戦争の影が、徐々に忍び込んできます。四女妙子の踊りの会を、時局柄派手には出来ないとして、平日に個人宅で催したり、隣家のドイツ人家族が、戦争に伴う商売の不振から帰国を迫られたりします。また一方では、次女幸子の夫貞之助は、勤務先の会社が軍需関連企業のため、年々業績好調にあり、彼の所得も余裕のあるものとなってきています。関西の上流階層の家族への戦争の影のあり様が、垣間見えます。
 こうした時代の明と暗を含んだ空気を背景に、四人姉妹とその周りの人々の人間模様を、克明に描き込んでいます。物語の柱の一つが、三女雪子の見合い。名家蒔岡家の没落と雪子本人が年を重ねるに反比例して、持ちこまれる見合い相手の条件が、悪くなっていく様が、戯画の様に描かれ、面白い。
   

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