« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月30日 (土)

堀田善衞の「60歳」

 堀田善衞著『スペイン430日―オリーブの木の蔭に』を再読。
 「朝から素晴らしい天気である。今日、小生60歳の誕生日である。」と書き始められたこの作品は、著者が、それまでの10年間、小説家を休業して取り組んできた『ゴア』4部作を完成させた後の、1年余のスペイン滞在日記です。
 堀田善衞は、1977年5月、横浜から船で出発してから、幾度か日本と往還しながら、85年までの8年間を、ずっとスペインで暮らしました。その最初の時期に書かれたのが、この本です。著者の「60歳」は、スペインへ居を移すという行動によって、際立つ特徴を示します。
 堀田は、『ゴア』を完成した時、「身に非常な疲れと、自分の生自体がひどく希薄になった」と感じつつ、「まだ60歳未満くらいであり、このあとどのくらい生きるものか見当がつかず、すぐ目の前に死の崖ップチがあるような気がしたり、まだまだ時間があるようにも思え、人生の設計図が描けないで閉口していた」とき、いろいろに思いあぐねたあげくに、居を移すため、夫婦でスペインへ行きます。
 日記には、スペインでの読書と思索、旅と歴史を見ること、無名・著名のひとびととの交流と衣食住の暮らしぶり、そして、時々もたらされる日本からの情報とそれへの感想などが、一日も休むことなく記されています。一番驚かされるのは、旅と歴史への情熱とタフさ加減です。小説やエッセイ以上に、著者を身近に感じます。そして、「堀田善衞」と「スペイン」への関心と好奇心を、心ゆくまで満足させてくれました。
 今回の再読で、もちろん60歳を意識した読書であったのですが、著者の年齢(=60歳)意識を感じさせる場面が幾度となくあり、堀田のスペイン行きが、60歳を強く意識した行動であったと、改めて感じました。
 「夕方、家内と丘のテッペンの孤児院まで散歩に行き、白い花などを摘む。野の花を摘むなど、何十年ぶりのことである。
 まず最初に移行をして行ったのが梅崎春生、次が椎名麟三、ついで武田泰淳、竹内好、森有正、吉田健一、次第にはずみがついて来たかの感があり、しかもそれだけはげみがなくなって来ていることも否定できない。」
 読後の今、「再生」という言葉が、心に浮かびました。

2006年9月23日 (土)

青空に浮かぶ白い雲の絵

 ベルギー王立美術館展に行ってきました。ピーター・ブリューゲルからルネ・マグリットに至るフランドル・ベルギー王国400年の巨匠たちの作品展です。
 呼び物のひとつは、P.ブリューゲルの『イカロスの墜落』。おや、誰かが、シンクロナイズ・スイミングをしていますよ。漁師は、目前のばたつく足には、全く気をとられることなく、釣り糸をたれています。画面中央の羊飼いは、何か無理をして、知らんぷりを決め込んでいる様子。手前の農夫に至っては、まったく別世界のように、馬に犂を牽かせています。主題は、「無関心?」。
 左手前に働く民衆を大きく配置し、右上方に、遠くの風景を描くといった構図は、『雪中の狩人』や『牛群の帰り』と同じです。いずれも、大変美しい労働と風景の絵です。
 ヤーコブ・ヨルダーンスの『飲む王様』を、じーっと見入っていて、「ああ、人生って、こんな風に楽しめたらなあ。食い過ぎたって飲み過ぎたって、こんな喜びのなかで死んでいくのなら」なんて感じていました。肥満や飲み過ぎなど、健康を気にすることの多い昨今、こんな風に感じたのは、久々のこと。それにしても、画面の中の人々の、気持ちの良さそうな幸福感よ。
 マグリット光の帝国』が、最後の部屋の壁面に現れた時、一瞬「わあっーきれい!」と感じ、2時間近くの鑑賞の疲れを、一気に吹き飛ばしてくれました。
 針葉樹の森に囲まれた沼のほとりに、外灯によって白い瀟洒な家が、闇夜に浮かび上がっています。二階の寝室には、明かりが灯り、人がいることの暖かさを感じさせます。そして、画面の上段は、明るい昼の世界。上空の青い空には、白い雲が浮かんでいます。ひとつの絵の中に、夜と昼とが、一体になって存在しているのです。でも、この絵を見たとき、シュールな感じよりも、「この景色、見たことある(見てみたい)」といった、実在感のある魅力を、強く感じました。いままで、マグリットにおぞましさと奇妙な世界をしか見ていなかった、というより、それゆえ敬遠していたのが、嘘のような気がします。
 新しい発見に、すこし浮き立つ気分となりました。

2006年9月10日 (日)

石の遺言

 外尾悦郎さんの『ガウディの伝言』を読みました。ああ、この人にしか書けないガウディ論だなあ、としみじみと感じつつ、読みつづけました。
 著者は、1978年にバロセロナに渡り、それからの28年間、サグラダ・ファミリアで「毎日毎日、石ばかり彫ってきた」という日本人彫刻家です。プロローグには、「夜、誰もいなくなった聖堂で一人石を彫っているとき・・・・・夜のサグラダ・ファミリアには、ひと味違った美しさ・・・・・巨大な石の生き物が、本来の野生を取り戻し・・・・・石の表情がより豊かになり、生き生きと、自分の力と気高さを誇示・・・・・」とあり、一気に外尾さんの世界に、引き込まれていきます。そして、その外尾さんの世界とは、エピローグに「自分がガウディになるのではなく、ガウディの見ていたものを一緒に見、行こうとしていた方向に一緒に行こう。サグラダ・ファミリアをガウディの考えていた方向に向かわせるために、自分を無に近づけて、石を彫ろう」という世界でした。つまり、ガウディの世界なのです。
 圧巻は、「第5章 ガウディの遺言―『ロザリオの間』を彫る」の章です。
 ロザリオの間は、ガウディが生前唯一完成させていた内部空間でしたが、スペイン市民戦争で破壊されました。そして、そのまま50年もの間封印されていたのですが、その修復が著者に委ねられます。著者は、修復作業に取り掛かりながら、ガウディの伝言を読み解き、想像力を飛翔させ、そして宗教的な深みにまで到達しながら、粉々に破壊された彫刻群を蘇らせました。ガウディの「石の遺言」の読み解きは、推理小説を読むようなスリリングな楽しさでした。
 『ガウディの伝言』での新しい知見2つ。
 過去2度、サグラダ・ファミリアを観光で訪ねました。ガイドは言います。「ガウディの作品には直線が無い」。が、外尾さんは言います。「・・・・・まったくの逆です。少なくともサグラダ・ファミリアは、主に直線で構成されている・・・・・曲面はあっても、曲線はあまりない・・・・・」。
 もうひとつ。サグラダ・ファミリアは、2020年代完成を目指す、とされていること。91年に始めてバロセロナに行ったときには、「あと何十年、あるいは百年以上かかるかも」知れないとガイドされていました。そして、02年に2度目に訪ねたとき、この10年余で工事が急ピッチで進んだことを、強く印象付けられました。どうも、私の生きているうちに完成されたサグラダ・ファミリアを訪ねることが、可能なのかもしれない。
 外尾さんの『ガウディの伝言』最後の挨拶は、「サグラダ・ファミリアで会いましょう」。是非、会いましょう。

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

無料ブログはココログ