『ゲルニカ』は装飾品か?
丸の内OAZOの、ピカソ作『ゲルニカ』(陶板のレプリカ)の前は、いつもはベンチが置かれ、人々が休息している、といった空間です。私は月に一、二度、丸善に来たときに、挨拶するような気持ちで『ゲルニカ』の前に立ちます。マドリッドにある実物とくらべ、牛と馬の間で空を見上げて涙している一羽の鳥が、このレプリカではほとんど消えんばかりになっている事に、多少の不満を持ちながら、でもこのピカソからのメッセージを読み解こうと、しばらくは眺めています。そして、この大きな壁画に、私同様、鑑賞する人がいると、すこしうれしくなります。しかし、この絵に関心を向ける人は、ほとんどいないようです。
8日の夕方、いつものように丸善で本を買った帰りに、『ゲルニカ』のところへ行ってみて驚きました。「日本の鞄100選」とかいったイベントが催されていました。手作り革製品のキャンペーンのようなものでした。アルバイトだと思われる若い女性が、大声で客集めをしていました。そこでは、『ゲルニカ』は、単なる革製品売り場の装飾品となっていました。勿論その前で鑑賞するなんてことは、まったくできません。高級手作り革製品こそが、その場の主人公なのです。
ピカソのこの作品は、作者本人にとっても、そしてスペインの多くの人々にとっても、かけがえのない宝だと思います。以前マドリッドの美術館で、『ゲルニカ』を観る機会がありましたが、この作品を前にした人々の、食い入るような目線と祈るような真摯な態度に、心打たれたことを思い出します。OAZOの光景は、マドリッドの市民や『ゲルニカ』を愛する世界の人々に、見せたくないなあ、と悲しい気持ちになりました。ここにこの作品を掲げたプロデューサーの意図は、何だったのでしょうか。
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