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2006年11月29日 (水)

日本史の常識がくつがえる

「聖徳太子は日本人ではない」といわれ、へぇっ?と一瞬戸惑いそして驚きます。しかし、最近の古代史の通説では、そうなのです。つまり、日本という国家の形成過程で、「日本」という国号と「天皇」という称号が安定的に用いられ、制度的に定着するのは、天武、持統朝からであり、このときよりも前に「日本」も「日本人」も実在しない、というわけです。では、聖徳太子は何人なのか?彼は、倭の国の倭人なのです。
 「へぇっ!」という私の意識のなかに、端無くも私自身の国家観が、滲み出てしまいました。統治機構としての「国家」と私が生まれ育った「くに」とを、ごっちゃにし曖昧にしている。私の中の「日本」は、歴史的存在としての国家ではなく、神話的存在としての(それは必ずしも『記紀』の世界ではなくても)日本をイメージしていたのかもしれません。

日本中世史の網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす(全)』は、私たちの日本史の常識を、一つひとつ覆していき、「日本」や「天皇」を、空気や水のような自然現象(=絶対的存在)のように感じている私たちに、それらを相対化し対象化する力を喚起してくれます。

 この本は、歴史学のおもしろさを、教えてくれます。それは、研究成果としての新しい歴史的知見を得ることの楽しさとともに、その成果を生み出していく方法論のおもしろさにあります。 
 鎌倉時代後期に描かれた絵巻物『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』を史料に、中世の「非人」の世界が、読み解かれていきます。この絵巻には、たくさんの非人や乞食(こつじき)が登場します。しかも、車のついた小屋に乗って移動する人、下駄を手に履いて歩いている人、入水往生をしょうとする犬神人(いぬひじにん)
、一遍の臨終に集まった犬神人など、実にさまざまな乞食・非人の姿態が生き生きと描かれています。それは、感動的なドラマだと、著者は言います。

 「つまり臨終のちかくなつた一遍につき従ってきていた犬神人たちは、最後の説教の時にはまだ門外に身を置くという遠慮がちな姿勢を保っていたのですが、一遍の臨終にあたってその姿勢を捨て去り、門内に入って多くの人びととたちまじって一遍の死を見送り、ついにそのなかのひとりは入水往生を遂げる。いわば非人が一遍に結縁し、一遍のあとを追ってともに往生するという、感動的といっても決して過言でない場面を、絵師はこのいくつかのコマで描いた」と見ます。そして、「一遍による非人の救済を絵を通して描くことが、この絵巻の作者のひとつのねらいであった」とします。

 非人は、何らかの理由により平民の共同体から排除され、離脱した人びとですが、これまでの歴史学の非人=社会外の社会、身分外の身分、という見方(常識)に対して、「一般の職能民と同様、神人・寄人という地位を、明確に社会のなかであたえられて」おり「特定の職能を持ち、自分自身の職能についての誇りをもつ職能民」であり、しかも「神仏の「奴婢」として聖別された・・・ときに畏怖、畏敬される一面をもった人びとであつた」としています。13世紀後半から14世紀頃までは、そうであった。こうした非差別の時代だからこそ、『一遍聖絵』に非人の救済が描かれたのでしょう。ところが、その後16,17世紀までに、非人を擁護してきた鎌倉新仏教が世俗権力に徹底的に弾圧されるなかで、非人に対する差別が定着していきます。

 網野さんは、絵巻の細部まで詳細に観察し、登場人物一人ひとりの髪型・被り物や持ち物、また動きや姿勢に意味を見出し、そして、上記のような結論を導いていきます。勿論、この絵巻だけから結論付けているわけではありません。しかし、この絵解きが決定的に重要だ、ということです。文書史料にないリアリティーが、絵巻物から得られたわけです。

 

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