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2006年11月19日 (日)

『ハーメルンの笛吹き男』

  阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界』を読みました。この9月に亡くなった著者の追悼記事にこの本を発見し、是非読んでみたいと思っていたものです。まず、表紙カバーのブリューゲルの絵が、目を引きます。子供たちと遊んでいる兎の耳の頭巾を被った芸人の男が、剣を腰に差した騎士に捕らえられようとしています。後方では、農民たちが、ダンスを踊っています。この本は、ブリューゲルの世界への誘いであることを、予感させます。
 

 「ハーメルンの笛吹き男」は、わが国でもよく知られたドイツの伝説ですが、著者は「130人の子供たちが1284年6月26日にハーメルンの町で行方不明になった」「異常な事態の背後にある当時のヨーロッパ社会における庶民の生活の在り方」に強い関心をいだきます。そしてこの伝説が、全世界に知られるようになったのは、「この頃のハーメルンの人々の悲しみと苦しみが時代を越えて私たちに訴えかけている」からだと考えます。当時の人々の生活に接近することは、「ヨーロッパ社会史の一面に直接触れることになる」と展望されます。
  読後、印象に残ったことを、備忘録として書き留めておきたい、と思います。この事件の背景にヨーロッパ中世の下層民の生活がある、として下層民の生活を、ボッシュやブリューゲル等の絵画や限られた史料から描いた「第4章経済繁栄の蔭で」が、もっとも強く心に残っています。そこで、この章中心の引用とします。

 「死後に財産や伝記を残すのはいつの時代にも権力あるものであり、身ひとつをようやく支えて短い人生を、しかしかけがえのないはずの人生を送った貧民は、ある日倒れて貧民院へ送られ、名も知れぬまま葬られてしまう。」
 「15世紀末にニュールンベルクでは日雇いの建築労働者の日給は午前中に払うこととされていた。なぜなら昼食をとりに帰る時、給料をもっていって女房に渡すとそれで晩飯の支度が出来たからである。」
 「職人だけでなく乞食も組合を結成していた。・・・・。乞食は貧民と違ってひとつの職業として認められた人々であって、専門的職業知識を必要とし、あらゆるトリックを使って同情をひくことを仕事としていた。ボッシュの描く「乞食の様々なトリック」をみると、乞食がまさに立派な「芸術」であり、大変な努力と才能を必要としたことが納得できる。」
 「中世都市の住民は現代のようにこれらの悲惨な運命を担った人々をまったく他者として隔離したりせず、自分たちの目にふれるところで見守っていたのである。中世都市には「社会復帰」という概念はなかった。貧民、癩者、乞食、盲人、淫売婦なども含めた多様な人間存在がおりなす生活空間が社会そのものなのであった。」
 「婦人の名誉さえ夫の所有物であり、ヴィルツフートの判告録では夫が罰金刑に処せられ、夫に支払い能力がない場合、妻の貞操をもってかえることが出来るとされている。」
 「身にはボロを纏い、同年輩の女房などがそれぞれの亭主のことを自慢したり、こきおろしたりしている立ち話の横をうつむきながらも毅然としてすりぬけ、男たちの好色なまなざしにさらされながら、子供の成長だけに一生の期待をかけていた彼女たち、こうした女性たちは無限につづくように思われる、昼と夜の交代をどのような心境でうけとめていただろうか。」
 「同じ年頃の男女がきらびやかに着飾って笑いさざめき、打ち興じる町あげての大騒ぎの最中に、彼女たちは舞楽の響きを遠いものとして聞きながら、喜捨を求めて右往左往していたのである。社会的にも経済的にも、そして精神的にも彼女たちは差別された生活を何世紀もの間送らされてきたのである。」
 「ブリューゲルの「農民の結婚式」の左隅に描かれている子供は、大人と同じ服を着、目までかくれる大きな帽子をかぶっている。「雪のなかの狩人」と題する傑作の焚火の傍に立つ子供もけなげな雰囲気を伝えている。子供はこの時代には「小さな一人前の男」であり、父が死ねば直ちに一家の長、一族の頭となり、娘は8歳ですでに嫁にいった。総じて中世は子供にとっては大変厳しい時代であった。」
 「鬱屈し、疲労しきった日常生活のなかで、屈辱に耐え、貧困をしのんで日々を送っていた庶民は、この日(復活祭前の受難の週)のユダヤ人襲撃の道具をひそかに考案する楽しみに、その鬱屈の捌け口を求めていたのである。」
 「キリスト教会は、繰り返しこのキリスト教以前のゲルマン民族の伝統的行事をキリスト教化しょうと努力してきた。それにもかかわらず「焚木」に火がつけられ、高く燃え上がる時、人々の魂の奥底に眠る始原的感情が噴出してくるのをとどめることは出来なかった。人々は踊り狂い、町中を練り歩いた。興奮の奥底には日常の差別された生活、鬱屈した生活感情が渦を巻いていたことだろう。祭の日に普段は到底食べられないほどのご馳走で満腹し、自制心を失った時、彼らの不満は陶酔的状態の中で、忘我の踊りと練り歩きとなって噴き出していったのである。」
 「祭りの日に何人かの者が司教冠と司教杖と司教服を身につけて、教会の内外で祝福を与え、人々の爆笑をかった。」
 「飢饉の時には・・・極めて多数の貧民が、全ヨーロッパを食べ物を求めてうろつきまわっていたのである。われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群衆を常にみすえていなければならないのである。」
 「ヘルマン・コルナーの伝えるところによると、1386年の四旬節の前日にリューベックで「盲人競技」が行われた。リューベック市の都市貴族の子弟は12人の健康な盲人を選び、食事や食物を与えて精力をつけたのち、兜と盾と棒を与え、市場に板を張りめぐらして作った競技場内に入れる。こうして競技がはじまらんとする時に、丈夫な豚をその中に放つ。豚はとんでもない戦闘のただなかに飛び込んだことに気付くと、棍棒の間をギャーギャー鳴きわめきながら逃げまわる。ときおり棒で尻でも叩かれようものなら、跳びはねて盲人競技者の2,3人をなぎ倒してしまう。その相手方になって闘っていた盲人は、倒れたのは豚にちがいないと思って、おもいきり相手を打ちのめしてしまう。人も豚も疲れ果ててしまった頃をみはからって、豚に鈴がつけられる。こうしてついに豚は打たれたため、というよりは追い回されて疲労のために倒れてしまう。こうして競技は終わり、豚は皆に食べられてします。老いも若きも娘も聖職者も皆大喜びでこの競技を観戦したという。」

  長い引用となりましたが、どの文言も印象深く、胸に残るものばかりです。この書の雰囲気が伝われば良し、としなければなりません。今回は一箇所の引用に留まりましたが、ゲルマンの異教的世界とキリスト教会の確執についても幾箇所か言及され、大変興味深い叙述でした。

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