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2006年12月31日 (日)

納めの映画と読書

  昨晩、イッセー尾形主演の映画『太陽』を観て自宅へ帰ったところ、テレビは、フセイン処刑を報じていました。時空ともに遠く離れた現在のイラクと60年前の日本。戦後ともにアメリカ軍占領下にありながらの彼我のあまりもの違いに、考え込まずにはおれません。
 今年最後の読書は、内橋克人さんの『悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環』(文芸春秋)でした。
 カバー見返しの紹介文を、転載します。
  「格差はどこから来たのか? 迫害を逃れて、アメリカにわたったユダヤ出身の一経済学者の思想は、はじめ「国家からの自由」を求める小さな声に過ぎなかった。70年代、その声は次第に大きくなり、やがてアメリカの政権中枢部を覆い、南米をかわきりに世界へとあふれ出す。― 市場原理主義(ネオリベラリズム)。市場が人間を支配する思想へと変質したそれは、実体経済を破綻させ、人心を荒廃させる「悪夢のサイクル」を生み出した!」
  著者は、きっぱりとネオリベラリズムを拒否します。そして、国家でもない、市場でもない第3の道、つまり、人間が市場を使いこなす道、を指し示します。その道とは。以下、著者の挙げた事例をメモしておき、今後の学びの糧にしたい。
 世界社会フォーラム(反・非ダボス会議)、世界の大店舗規制の動向、トービン税国際連帯税、フィンランドとノキアリナックス㈱オルター・トレード・ジャパンデンマークのエネルギー政策etc。
 

2006年12月25日 (月)

2島+α

 今年の大仏次郎論壇賞を受賞した岩下明裕著『北方領土問題』を読みました。
 岩下氏は、北大スラブ研究センターに席を置き、4000kmにわたる中国・ロシア国境の領土や移民問題を研究してきた、中・ロ関係の専門家です。
 2004年10月、中・ロ両国は、第二次世界大戦に由来する国境問題を、最終的完全に解決しました。かっては、国境の珍宝(ダマンスキー)島で、中・ソ両国の軍事衝突(69年)があり、核戦争の可能性さえ取り沙汰されたのですが、両国はこうした苦い経験を踏まえ、80年代から、とくに91年のソ連崩壊後、粘り強く誠実に交渉を続け、やっと解決に至ったのです。本書の前半は、このプロセスが詳細に分析され、国境紛争解決の教訓が、汲み出されます。要約すると次のとおりです。
 「係争地を両国が『分け合う(フィフティ・フィフティ)』という政治的妥協と、それを双方が『互いの勝利(ウィン・ウィン)』とすること」 

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2006年12月24日 (日)

大塩湖の渡り鳥

 久しぶりに、富岡市にある大塩湖へ行ってきました。ここは、農業用水のための人造湖ですが、町からは少し離れ、周りを山に囲まれた、静かで小さな湖です。この時期は、渡り鳥たちの休息P1030168地として、地元では知られています。P1030144_1
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 湖の真ん中あたりに浮島のようなものがあり、水鳥たちはそこにたむろしていました。写真を撮るには少し遠いなあ、とひとり嘆息していたら、水鳥たちが私のほうに近寄ってきました。餌をもらえると思ったのでしょうか。オナガガモの集団でした。岸辺には、マガモの夫婦が、悠然と泳いでいます。雄頭部の緑色光沢が、美しい。そこに、黒の羽毛に真っ白の嘴が冴える水鳥が一羽、ゆったりと近づいてきました。オオバンです。もう一つの浮島には、カワウとゴイサギが、一緒にすまし顔で立っています。 カワウが羽ばたきます。そして、 ゴイサギが、南のほうに飛んで行きました。P1030109P1030125P1030127_1P1030137

 

 

  湖の北側は、堰止めのダムになっています。そのコンクリートのダムサイドでは、釣り糸を垂らしている男たちと並んで、カモたちが羽を休ませています。こうして水鳥たちを眺めながら湖を一周し、車に戻ってきたところ、さっき飛び立ったゴイサギが、50メートルほど離れた松の木の枝に、とまっていました。ゴイサギの飛び立ち姿を撮ろうと、スタンバイして待つこと15分、やっと飛び立ちました。なんとか、カメラに納めることができました。悠々の飛翔姿でした。

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2006年12月23日 (土)

チョン・セフンの歌

 ベルギーに住む娘から、素敵なクリスマス・プレゼントが届きました。韓国のカウンターテナー歌手チョン・セフンのCDアルバムです。音楽に明るくない私は、この歌手のことは知りませんでしたが、早速聴いてみて、その澄みわたった美しく声量豊かな声に、うっとりとしました。裏声の聞き苦しさは、まったく感じられません。今も、この文章を書きながら、気持ちよく聞き惚れているところです。
 娘の店でこの歌を流していたところ、お客様の間で、大変な人気だそうです。
 グーグルで英語名Jung Se Hunを検索としたところ、37万件を超すサイトが表示されました。日本語のものは、ほんの少し。隣国の歌手の話が、遠くベルギーからもたらされた訳です。

2006年12月17日 (日)

東国が別国家の可能性?

 網野善彦著『日本中世の民衆像―平民と職人―』を読みました。私にとっては、網野作品の2作目。
 「弥生時代いらい稲作中心、単一民族」という日本人像を虚像として退け、中世前期の多様な姿とゆたかな可能性を描き出します。特に「第2部 中世の職人像」は、圧巻です。
 身分としての「職人」は、権門(天皇・院宮・摂関家・将軍家・大寺社)に対して、専門の職能で奉仕するかわりに、年貢や公事を免除され、諸国を自由に往来し売買交易をする特権を持った人たちです。その特権は、西国では、究極的には天皇によって保障されていました。ところが東国では、西国とは異なり、源頼朝から特権を保証された職人がいます。ここから著者は、東国と西国の比較論を、大変魅力的に展開します。東国で西国と異なる元号が使用されていたことを知り、正直驚きました。頼朝が、天皇とは異なる独自の権威であった、というのです。そして、「東国と西国とは異なる「民族」として、異なる国家をもつ可能性を十分にもった地域」といってもよいと指摘されます。東国と西国の交流は、別の「民族」の間の交流という面があったとされます。
 唐人集団(中国系)が、日本国内で交易売買を活発にしていた、ということも驚きです。確かに、禅僧たちの交流の周辺で、職人や商人の交流・交易があったとみるほうが、よほど自然ではあるのですが。日本列島に住む人々の、朝鮮や中国の人びととの交流・交易は、活発で日常的であった、というのです。
 海に囲まれた自給的・閉鎖的な農業社会、という常識が、もろくも崩れ去っていきます。

2006年12月16日 (土)

ラッキョウらしく食べる

 この4月急逝された黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の生涯」を観ました。敗戦色の濃い1945年3,4月の鹿児島のある地方都市を舞台に、普通の家族の日常生活が、淡々と描かれます。登場人物は、悦子と兄夫婦、そして悦子に思いを寄せる海軍少尉とその友人の5人。特攻隊に志願した少尉は、友人に彼女を託す。
 普通の人びとの平凡な会話の中に、戦争の悲しみが、滲み出てきます。その普通である人びとが、このような会話を交わすのです。
「お互い大君に捧げたてまつったこん命やけん」「皇国三千年の祖国に、なんもかんも捧げ尽くす覚悟たい」。
 特攻隊に志願して死んでいくことが、当然のこととして受け入れられています。戦争や天皇、そして国家というものを対象化する視点は、まったくありません。「私」という存在も、皆無です。だから、この映画は、ただただ悲しい。
   

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私の「教育基本法」

  改正教育基本法と、防衛庁を「省」とし自衛隊の海外派遣を本来任務へと格上げする改正防衛庁設置法が成立しました。夜9時のNHKニュースは、松坂投手のレッドソックス入りを、トップニュースで扱い、改正教育基本法の成立については、2番目の扱いでした。「公共放送」の堕落振りにあきれながら、加速度的な事態の成り行きに、いささか慌て気味の昨今ではありますが、ここはじっくり腰をすえて、次に必ずやってくる憲法改正への動きに、目を光らせる必要を痛感します。
 朝日朝刊の大隈記者の囲み記事に、南原繁氏の残した言葉が引用されています。
 「今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい」。
 47年制定の教育基本法の前文を、書き留めておきます。
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しょうとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

2006年12月10日 (日)

「刑吏の社会史」を読む

 阿部謹也さんの『刑吏の社会史』を読みました。私にとっては、阿部さんの2作目です。1978年発行とありますから、『ハーメルン』の4年後の作品ということになります。
 「かつて神聖な儀式であった「処刑」は、12,3世紀を境にして「名誉をもたない」賤民の仕事に変わっていく。職業としての刑吏が出現し、彼らは民衆から蔑視され、日常生活においても厳しい差別を受けることになる。その賤視・差別の根源はなにか。都市の成立とツンフトの結成、それにともなう新しい人間関係の展開の中で、刑罰の変化を追及し、もう一つの中世世界像構築を目指して、庶民生活と意識に肉薄する意欲的試みである。」(本書カバーの解説文)
 

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2006年12月 9日 (土)

夜よ、こんにちは

  シネマテーク高崎にて、マルコ・ベロッキオ監督『夜よ、こんにちは』を観ました。
 この映画は、1978年にイタリアでおきた、極左武装集団「赤い旅団」によるモロ首相の誘拐・殺人事件を題材にした物語を描いています。誘拐・アパートでの監禁・人質交換を迫る政府との交渉と決裂、死刑宣告そして処刑。こうしたスリリングなプロセスの渦中で、メンバーの若い女性キアラの心の変遷が、丁寧に映し出されます。
 キアラが鍵を放ち、メンバーたちが眠る中、モロがひとり外へ出て行き、街路を彷徨うように・・・・・が瞬時、次の場面でモロが処刑に、といった残酷な反転で、この映画が終わります。キアラのこころの軌跡が、このように表現されたのでしょう。
 
 私にとっては、シニア料金最初の映画として、記憶に残る作品となりました。

2006年12月 7日 (木)

ひさしぶりのフクロウ

 今朝、いつものように愛犬ムーやンと連れだって散歩に出掛けました。日はまだ昇らず、西の空には、欠け始めた月が、にぶく光っています。あたりは薄暗く、ご近所の灯りが、ぼつぼつ点きはじめるころです。裏通りの無人寺の小さな山門の前を通りかかった時、電話線にとまったフクロウに出会いました。ほんの2,3メートル先の手の届くようなところに、背を向けてじっとしています。フクロウは、ここしばらく鳴声もせず、姿もみせなかったのですが、久々の再会です。
 この村に移り住んではじめて出会った野生動物がフクロウだったので、なにかしら懐かしく近しい気持ちを、フクロウに対して持ち続けているのです。
 ムーやンも気がつき、ふたりして見つめていたのですが、しばらく後に、寺の裏山の方向に、飛んで行きました。

2006年12月 3日 (日)

日本史の常識が覆る その2

 網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす(全)』について、もう一箇所書き留めておきます。
 「日本社会は、すくなくとも江戸時代までは、農民が圧倒的多数をしめる農業社会だった」ことは、広く知れ渡った常識であり、私の中の常識でもあります。人口構成に、百姓が8割近くも占める社会は、農業社会以外の何物でもない。そう思っていました。ところが、網野さんは、この常識は、間違いだと断定されます。何故か。「百姓は農民ではない」からだという。もう少し正確に言いますと「百姓ということばは、本来、たくさんの姓を持った一般の人民という意味以上でも以下でまなく、この言葉自体には、農民のという意味」はまったく含まれていない。そして百姓の実態は、山口県の上関の事例では、「地方の百姓36軒のうち、農人は19軒にすぎず、商人10軒、廻船問屋が5軒、鍛冶屋、漁民が各々1軒」ありました。そして、これは例外ではなく、日本列島の各地に見られるということです。つまり、「百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民―農業以外の生業に主としてたずさわる人びとを含んでいる」というわけです。
 

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