「刑吏の社会史」を読む
阿部謹也さんの『刑吏の社会史』を読みました。私にとっては、阿部さんの2作目です。1978年発行とありますから、『ハーメルン』の4年後の作品ということになります。
「かつて神聖な儀式であった「処刑」は、12,3世紀を境にして「名誉をもたない」賤民の仕事に変わっていく。職業としての刑吏が出現し、彼らは民衆から蔑視され、日常生活においても厳しい差別を受けることになる。その賤視・差別の根源はなにか。都市の成立とツンフトの結成、それにともなう新しい人間関係の展開の中で、刑罰の変化を追及し、もう一つの中世世界像構築を目指して、庶民生活と意識に肉薄する意欲的試みである。」(本書カバーの解説文)
処刑や拷問の諸相の記述は、血なまぐさく残酷です。そして、刑吏への賤視・差別は、厳しくむごいものでした。刑吏の子には刑吏以外の職は無く、刑吏の娘は刑吏以外の者と結婚することは許されない。死んでは、刑吏の棺をかつぐ者がなかつた。刑吏には、死後のことすら悩みであった。また刑吏は、それとわかる服装をしていなければならなかったし、居酒屋からは事実上締め出されていた。名誉ある青年が、刑吏の徒弟と酒を一緒に飲んだことによって、家族や仲間、村落共同体から締め出され、半狂乱になって山に隠れたのは、19世紀のドイツでの話し。処刑に失敗したなら、石を投げられ、惨殺されることもあった。
こうした蔑視と差別の中にあっても、同時代の職人たちと同様に、刑吏も職人としての誇りを持っていた。「一撃で頚骨のわずかのすき間に剣をふりおろせるだけの芸術ともいえる技術を身につけ、拷問の際には人間の生命力の限界を心得、身体の細部まで精通していなければならなかった」という。現在に伝えられている刑吏の日記には、誠心誠意全力をこめて仕事を遂行したこと、この世に害をなすものから世界を解放しているという確信にあふれているという。そして、「刑吏の胸中にあった唯一の夢はある程度財産をつくって外国に渡り、そこで名誉ある市民として晩年を送り、まともな葬式をだしてもらうことであった」。
「スウェーデンの一小都市にいつの頃からか上品な白髪の老紳士が瀟洒な家に1人で住んでいた。パイプをくゆらし、ステッキをもって1日2回散歩に出る以外はほとんど人と付き合わず、読書で日をすごしているこの老紳士はときには道で遊んでいる子どもたちを近くで眺め、いかにも功成り、名とげて満ち足りた晩年を送っているように町の人にはみえた。この老人がある冬の日に死んだとき、遠くドイツから兄弟がやってきて、そのときはじめて町の人はこの老人がドイツでは高名な刑吏であったことを知ったという。刑吏は皆このような晩年を夢見ていたのであろうか。」
本文最後を飾ったこの文章は、著者阿部謹也さんの、誇り高い刑吏たちに対する鎮魂の言葉なのでしょうか。
支配者や富める人びとの歴史を光とすれば、著者の眼差しが向けられる賤視され蔑視される賤民たちの歴史は、影となるのでしょう。この光と影の両面から歴史像を再構成していくならば、私の常識としての歴史認識は、絶望的なほどに粉砕される予感がします。
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