ラッキョウらしく食べる
この4月急逝された黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の生涯」を観ました。敗戦色の濃い1945年3,4月の鹿児島のある地方都市を舞台に、普通の家族の日常生活が、淡々と描かれます。登場人物は、悦子と兄夫婦、そして悦子に思いを寄せる海軍少尉とその友人の5人。特攻隊に志願した少尉は、友人に彼女を託す。
普通の人びとの平凡な会話の中に、戦争の悲しみが、滲み出てきます。その普通である人びとが、このような会話を交わすのです。
「お互い大君に捧げたてまつったこん命やけん」「皇国三千年の祖国に、なんもかんも捧げ尽くす覚悟たい」。
特攻隊に志願して死んでいくことが、当然のこととして受け入れられています。戦争や天皇、そして国家というものを対象化する視点は、まったくありません。「私」という存在も、皆無です。だから、この映画は、ただただ悲しい。
一つの場面が、印象に残りました。
熊本の工場へ徴用された夫が、休暇で帰宅してくる場面です。義姉が、赤飯を炊きラッキョウを準備しています。「敵機は東方へ脱却せり」の「脱却」が「らっきょ」に似ているので、ラッキョウを食べたら爆弾に当たらん、といった悦子と義姉とのたわいの無い会話。遅く帰ってき、しかも明日にも戻るという夫と口論する義姉。
「そげん3日も4日も休まれんとよ。沖縄も取られて、日本はどんどん不利になっていきよっとこじゃっで、おいたちが武器を作らんでどげんすっとよ。日本が負けるじゃなか・・・お前は日本が負けてもよかとか?」「・・・よかよ・・・負けても・・・」「そいが、銃後を守る女の言うことか?」「・・・じゃっどん・・・そうやもん・・・」「負けて終わりがなるっち思うちょっとか!」激しい口論の後、3人とも無言で赤飯を食べます。そして、義姉が涙を湛え、声を詰まらせながら訴えます。「・・・じゃっどん・・・赤飯は赤飯らしく食べたかです。ラッキョウもラッキョウらしく食べたかです。爆弾に当たらんち思うて、赤飯やラッキョウを食べたかなかですが」
義姉のこの叫びこそ、多くの日本人の正直な自己主張だったのではないか、と思います。私が、この映画から受けた、最も新鮮で力強いメッセージは、「ラッキョウもラッキョウらしく食べたか」ということでした。
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