東国が別国家の可能性?
網野善彦著『日本中世の民衆像―平民と職人―』を読みました。私にとっては、網野作品の2作目。
「弥生時代いらい稲作中心、単一民族」という日本人像を虚像として退け、中世前期の多様な姿とゆたかな可能性を描き出します。特に「第2部 中世の職人像」は、圧巻です。
身分としての「職人」は、権門(天皇・院宮・摂関家・将軍家・大寺社)に対して、専門の職能で奉仕するかわりに、年貢や公事を免除され、諸国を自由に往来し売買交易をする特権を持った人たちです。その特権は、西国では、究極的には天皇によって保障されていました。ところが東国では、西国とは異なり、源頼朝から特権を保証された職人がいます。ここから著者は、東国と西国の比較論を、大変魅力的に展開します。東国で西国と異なる元号が使用されていたことを知り、正直驚きました。頼朝が、天皇とは異なる独自の権威であった、というのです。そして、「東国と西国とは異なる「民族」として、異なる国家をもつ可能性を十分にもった地域」といってもよいと指摘されます。東国と西国の交流は、別の「民族」の間の交流という面があったとされます。
唐人集団(中国系)が、日本国内で交易売買を活発にしていた、ということも驚きです。確かに、禅僧たちの交流の周辺で、職人や商人の交流・交易があったとみるほうが、よほど自然ではあるのですが。日本列島に住む人々の、朝鮮や中国の人びととの交流・交易は、活発で日常的であった、というのです。
海に囲まれた自給的・閉鎖的な農業社会、という常識が、もろくも崩れ去っていきます。
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