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2007年2月15日 (木)

津軽言葉

 仕事で、庄内の鶴岡へ行ってきました。
 高崎から新潟を経て、羽越線で鶴岡へ向かいます。雪のない北蒲原平野を通り過ぎ、村上駅を発ってしばらくすると、左手に黒い日本海が広がります。右手は、山が迫ってきています。鉄道と海の間には、国道が通っており、その国道と海の間の狭いところに、家が建っていました。苫屋ではなく、住宅のようでした。猛烈な低気圧の通過が予報されていますが、まだこのあたりには、その影響は出ていません。波は穏やかです。崖下から海に入ったあたりには、大きくない岩がたくさん、海中から突き出ており、その先端には海鳥たちが、一羽ずつとまって、海の風を受けています。
 

 列車の前の左右の席で、50台の男女2人づつと70台の女性1人の計5人組みが、新潟を発ったときから、大声で話し続けています。男二人は、ワンカップのお酒を、おいしそうに飲んでいます。女たちは、夏蜜柑をむいて食べ、蜜柑の香りをまわりに漂わせています。私は、本を読んだり車窓の景色を見たりしていたのですが、隣席の余りにも楽しそうな会話に、つい聞き耳を立ててしまいました。ところが、この人たちの言葉が、さっぱりわかりません。何ひとつ聞き取れないのです。彼ら彼女らは、新潟を出てまもなくやってきた車掌から、弘前までの特急券を求めていましたから、津軽の人たちなんだろうと思います。その津軽言葉が、私には、まったくと言っていいように、わからないのです。
 中世史家の網野善彦さんがその著書で、自分は日本のどこの地域の古文書でも読むことができるが、青森の十三湊の民宿の主人の言葉は、まったくわからなかった、という経験を書いていたことを思い出しました。そして、網野さんは、日本の社会の場合、文字社会、文書の世界は均質度は高いが、無文字の社会、口頭の世界は、大変多様である、と論を進められていました。5人の男女の、楽しそうな会話を聞いていて、なるほどなあと、妙に納得しました。
 翌日の今日、仕事を終えて帰ろうとしたところ、強力な低気圧の通過に伴って、羽越線は終日運休、とのニュースが舞い込んできました。一昨年暮れの、竜巻による列車脱線転覆事故は、鶴岡と酒田の間で起こったのです。そのときの教訓から、運行に慎重なのでしょう。そういえば、昼前後から、強烈な風が、吹き荒れていました。仕方なく、激しく吹雪く月山の道路を経て、山形から新幹線で帰ってきました。このコースでは、数秒の間、吹雪によって前方が全く見えなくなる、という結構危ない目にあいましたが。

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