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2007年2月 3日 (土)

陳舜臣著『茶の話』を読む

 この本は、茶とその文化の発祥の地、中国の「茶事遍路」(副題)を辿ろうとするものです。茶は、日常茶飯のように、ありふれた平凡な物事のたとえ(広辞苑)として用いられますが、この書を読んでいると、茶がただならぬモノと思えてきます。値段のつけようのない茶のために、財産を蕩尽した男の話や、朝廷への茶の進貢の不始末で、解任された唐の地方役人の話などは、古今、珍貴な食べ物や宝玉にまつわるよくある話です。また、18世紀、イギリスに喫茶の風習が伝わりつつあった頃、「茶は高価であり、時間の浪費であり、人びとを柔弱にする」という反茶運動が起こり、「茶よりもビールだ!」とのスローガンが叫ばれた由。このあたりまでは、「ただならぬモノ」と表現するには、すこし大袈裟すぎますが、茶が国家の戦略物資になったり、戦争の引き金となり国家存亡の危機と関係していたりすると、そうとも言っておれません。
 

 中国の宋代、茶は塩とともに専売となり、国防にとっての必需品である馬との交易に、不可欠のものでした。清代には、ロシアは国内消費量以上の茶を中国から輸入し、外モンゴルの蒙古人に茶を供給しました。このため、蒙古人は中国から茶を買う必要がなくなり、外モンゴルが清国の支配から離脱する原因のひとつとなったのです。イギリスによってかけられた茶税法にたいして、植民地アメリカの市民は激昂し、東インド会社の積荷の茶葉を海に投げ捨てました。1773年のボストン茶会事件です。アメリカ独立戦争の引き金になりました。また、イギリスは清国からの茶の輸入の見返りに、インドや西アジアのアヘンを輸出します。東アジア近代史の幕開けとなったアヘン戦争の背景です。
 政治に翻弄されたような茶の歴史ですが、唐代に茶の文化を体系化した陸羽(りくう)は、性格でも身分においても、きわめて非政治的な人物であったようです。捨て子であった陸羽は、仏教寺院に拾われて育てられます。成人した後、中央や地方の政治家や文人と交流しながらも、陸羽はあくまでも自由人であろうとします。そして、「理想の人間像を―精行倹徳之人、とした。品行端正で節倹の美徳をもつ人である。茶はそのような人にこそふさわしい飲みものであるというのが、『茶経』の大前提であった」。この書の主人公は、この陸羽です。そして、この書の全編を通じて、陸羽とその周りの文人たちとその後の詩人たちの、茶を題材にした詩が紹介されます。普段、漢詩になじみのない私には、やや難解でしたが、何度か口づさんでいると、幾編かの詩は、なかなか味わい深いものでした。
 「末茶興亡」の話は、興味深い。「明にいたって、末茶は中国で衰亡する。だが、足利時代に相当する同じ時期に、日本は栄西がもって帰った南宋寺院系の末茶が、しだいに盛んになり、黄金時代を迎」えます。そして江戸時代初期、隠元が明から煎茶を伝え、江戸庶民の間に、大人気となって普及していきます。しかし末茶は、中国のように衰亡しませんでした。「新しいものが入っても、旧いものがほろびないのが日本的特徴の一つである」との指摘は、日本の社会と文化を考えるうえで、大変示唆的です。
 茶の魅力をたっぷり謳いあげたこの書は、まさに茶ファン必読の書、と言えるでしょう。

 

 

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