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2007年3月 4日 (日)

多胡碑まつり

P1030638_1  高崎市に隣接する吉井町には、国の特別史跡に指定されている「多胡碑」があります。きょうは、約1300年前の3月9日に多胡郡が置かれることが決まった日にちなみ、年に一度、その石碑を直接間近に見ることができる「多胡碑まつり」の日でした。早速、家内とともに出掛けてみました。開館の10時には既に、10数名の古代史ファンが詰め掛けていました。写真のお堂の中に、石碑があり、普段はガラス越しの見物なのが、きょうはお堂の中に入って見学することができました。

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 堂内では、多胡碑について学芸員が説明しているところでした。脆(もろ)そうな砂岩の表面に、80ヶの漢字が刻印されています。2,3の見慣れない漢字を除き、あとは現在も普通に使っているものばかりです。
 パンフレットの現代語訳によれば、「政府からの命令で、上野国(かみつけのくに)の片岡、緑野、甘良の3郡から三百戸を割いて郡をつくり、羊という人に支配を任せる。多胡郡としなさい。それは、和銅四(711)年三月九日に公示された」といつた内容です。地域は、現在の高崎市・藤岡
市・富岡市とその周辺といったところ。300戸は推定6000人くらいの人口。古代版の市町村統合の記念碑です。
 711年前後の年表を見ますと、645年大化の改新、701年大宝律令制定、710年平城京遷都と、古代史が大きく変わる時期にあたります。網野善彦さんの『日本社会の歴史』では、畿内中心の国家「日本国」が、中国大陸の高度に文明的な制度―律令―を受容し、本格的な国家として形成されつつある時期となります。こうした時期に、すでに北関東の群馬は、畿内政権の支配下にあったのですね。
 多胡碑に刻印された史実は『続日本記』にも記載されており、そのなかの「郡」の下の「郷」名が現在も残っており、市町村合併で余りにも安易に地名が消滅していくことを思うとき、何か昔のひとびとに申し訳ないような気持ちになりました。
 多胡碑は、「那須国造碑」(栃木)「多賀城碑」(宮城)とともに、「日本三古碑」と呼ばれています。近いうちに、他の二つの石碑へも、是非訪ねていきたいと思います。

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