« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月28日 (土)

茶摘みは最盛期へ

P1040209_1 静岡の島田市とその周辺の茶畑を見てきました。5,000ヘクタールといった広大な茶園面積を誇る、県内最大の茶産地「牧の原」の一角にあり、比較的収穫期の早い地区です。萌芽し一芯三葉程度に成長した茶葉は、鮮やかな萌黄色に輝いていました。
 今年は、4月上旬の降霜の影響が懸念されましたが、晩霜の常襲地帯で軽い被害があった程度で、全体の作柄に影響するほどではなかったようです。

続きを読む "茶摘みは最盛期へ" »

2007年4月22日 (日)

憂いは病と老

  職場の後輩が、肺がんで亡くなりました。この2月に、腹部の激痛を訴えて入院し、数日の検査期間を経て、他の病院に転院しました。地元では、肺がんの治療で有名な病院でした。はたして、彼の病名は、肺がんでした。他の友人が、先週の日曜日に見舞いに行った時は、病人らしく弱々しくはあったけれど、仕事の話などを交わしたといいます。まさか、4日後に亡くなるとは、と絶句していました。
 2ヶ月前には、3歳年長の先輩を、すい臓がんで亡くしたところです。
 還暦を迎えて、周囲の友人・仲間たちに、こうして病に倒れる人たちが、ぽつぽつ出始めた感じがします。10年前よりも、確実に多くなっています。自分には、病も死も縁遠いものと思っていても(実は、そのように願っているのですが)、周りの友人や知人の死に直面すると、自分と病や死との距離感を見失ってしまいそうな感じとなります。

続きを読む "憂いは病と老" »

2007年4月21日 (土)

海の壁、大津波のこと

 吉村 昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫)を読みました。
 先月、陸中海岸へ旅行したときには、この本のことを知りませんでした。その後盛岡へ行ったとき、駅の書店の入り口近くに平積みにされている本書を見かけ、手にとってみました。明治と昭和とチリの大津波のことが、詳細に書かれています。旅行前に本書を手にしなかった自分の迂闊さに呆れながらも、まだ彼の地の印象が、強く心に残っているあいだに、この本に遭遇した偶然の喜びを、かみしめています。
 吉村 昭の作品は、随分前に、脱獄を繰り返す無期刑囚の男を描いた『破獄』を読んだことがありますが、久々に再会した感じです。記録文学の力強さを、感じさせてくれました。

続きを読む "海の壁、大津波のこと" »

2007年4月15日 (日)

名勝 楽山園

 隣の甘楽町に、小幡という小さな城下町があります。当地は、織田信長の次男信雄に始まる織田家8代150年と、その後を継いだ松平家4代100年の間、城下町として栄えました。小幡藩邸楽山園は、その織田氏によって造られた藩邸建物と庭園で、江戸時代は大変美しい庭園として広く知られていました。明治維新の廃藩置県の後、藩邸は壊され庭園も荒れ放題と成り、その後、誰一人振り向こうともしない状態が続いてました。このたび、甘楽町によって発掘調査のうえ復元され、町民にも広く公開 されるようになりました。2000年には、国の名勝にも指定され、現在、群馬県内では唯一残っている大名庭園です。(町のリーフレットから)

続きを読む "名勝 楽山園" »

2007年4月14日 (土)

桜の様子が?

 去年の今頃、桜の木に囲まれたわが家を写真にとって、ちょっと自慢げに友人たちにメールしたものですが、今年の桜は、五分咲き程度でおわりそうです。未開花の花芽は、既に数少なく、葉芽が萌芽を待つばかりの状態です。庭の桜だけではなくて、隣家のものも、裏通りにある寺の境内の桜も、やはり花数が少ない。車で数分のところにある桜屋敷ような農家の、大木となった10本近くの桜も、例年になく花数が少なく、華やかさに欠けます。里山を降りた平地の桜は、今は葉桜となりつつありますが、満開のときは、昨年と変わった印象は受けませんでした。ここ里山の桜たちは、どうしたのでしょうか?はじめてのことです。
 はじめてといえば今週の月曜日、朝の通勤途中に猿に出会いました。ちょうど車の前を、横切っていきました。1頭だけでしたが、群れからはずれた離れ猿なのでしょうか。20年近く住んで、まったく初めてのことです。多くの猿が群れている碓氷峠からは、30キロ以上は離れてますし、他に猿がいる話は、聞いたことがありません。イノシシに出会ったのは昨年の10月でしたが、ともかく珍しい現象が続くようです。 

2007年4月 8日 (日)

映画『麦の穂をゆらす風』

 ケン・ローチ監督作品『麦の穂をゆらす風』を観ました。
 1920年のイギリス支配下のアイルランドが舞台。飢餓と貧困にあえぐアイルランドの人びと。青年たちは、独立戦争に立ち上がります。イギリス軍との間で、熾烈な戦いが続きますが、青年たちの執拗な抵抗に、やっと講和条約が結ばれ、一時の平和が訪れます。しかし、条約は完全な独立と自由の獲得には程遠く、賛成派と反対派との間で、内戦が起こります。繰り返される暴力と裏切り、戦友間の離反と殺し合い、そして、兄が弟を処刑する悲劇。イギリス帝国主義の、剥き出しの暴力性と理不尽さが、貧しいが美しいアイルランドの農村風景をバックに、丹念に描かれています。

続きを読む "映画『麦の穂をゆらす風』" »

字幕屋さんの日本語論

 太田直子著『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』を読みました。本の帯に書き込まれた宣伝文句のような表題ですが、内容はこの表題の通り。ノリのいい冗談の連発は愉しく、ワサビの効いた現代日本語批判は、なかなか説得力があります。映画字幕世界の舞台裏も、興味津々で面白く、一気に読み通してしまいました。外国映画を観るときは、字幕にすっかり世話になっているにもかかわらず、その制作の苦労にまで思いの及ぶことは、一度もありませんでした。まずは著者をはじめ、すべての字幕屋さんたちに、感謝。

続きを読む "字幕屋さんの日本語論" »

2007年4月 2日 (月)

『バール、コーヒー、イタリア人』

 この本の帯に書かれた「何故イタリアには、スタバもコンビニもシャッター通りもないのか?」という言葉に惹かれて、読んでみました。著者の島村菜津さんは、この疑問を解く鍵を、イタリアに15万軒あり現在も増え続けているバールの存在にあると考えます。「イタリアはさながら、バールの迷宮である」、つまり街にも村にも、森にも海岸にも、修道院にも大学にも、ありとあらゆるところにバールがあるというわけです。そしてバールでは、エスプレッソが飲めて、お酒が飲めて、軽食が食べられて、時にはケーキ屋だったり、ジェラート屋、たばこ屋、トトカルチョ屋であったり。そしてイタリア人は、外食費の3分の1をバールに投じているというのです。

続きを読む "『バール、コーヒー、イタリア人』" »

2007年4月 1日 (日)

沖縄戦での住民の集団自決

 昨日の朝刊一面に「教科書検定 集団自決「軍強制」を修正」(朝日新聞)と報じられました。またしても日本の政府は、歴史の真実と真摯に向き合うことをせず、姑息にも事実の「値切り」行為によって、事件を矮小化しました。沖縄戦下での住民の集団自決という歴史的事実はさすがに否定できず、軍の命令があったかどうか明らかでない、といった曖昧さを最大の争点にして、実質的に教科書の書き換えを命じました。軍の強制を否定している従軍慰安婦問題と、同じ構図です。日本を戦争のできる国にしょうとしている人たちの、飽くことのない黒い企みのひとつです。この人たちにとっては、「美しい国」の軍隊が、従軍慰安婦を強制連行したり、戦闘下で集団自決を命じたりする訳がないのです。
 大江健三郎さんが、この集団自決と日本人(旧守備隊長含む)について論ずる中で、「この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない・・・・・新世代の日本人が・・・・・倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしない(で)・・・・・大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積み重ねている」(『沖縄ノート』)と厳しく警告したのは、30年以上前の1970年のことでした。大きな国家犯罪とは、戦争そのものです。
  旧守備隊長等は、この『沖縄ノート』で集団自決を命じたように書かれたとして、著者と岩波書店を訴え、現在大阪地裁で審理中です。文部科学省は、この裁判も理由のひとつとしてあげています。原告側は、今回の文部科学省の検定を「半分目的を達したもの」と大きく評価しています。彼らの訴訟の狙いが、透けて見えます。大江さんの言う「真の罪責感の種子」は、彼らには枯れてしまったようです。

続きを読む "沖縄戦での住民の集団自決" »

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »