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2007年4月 1日 (日)

沖縄戦での住民の集団自決

 昨日の朝刊一面に「教科書検定 集団自決「軍強制」を修正」(朝日新聞)と報じられました。またしても日本の政府は、歴史の真実と真摯に向き合うことをせず、姑息にも事実の「値切り」行為によって、事件を矮小化しました。沖縄戦下での住民の集団自決という歴史的事実はさすがに否定できず、軍の命令があったかどうか明らかでない、といった曖昧さを最大の争点にして、実質的に教科書の書き換えを命じました。軍の強制を否定している従軍慰安婦問題と、同じ構図です。日本を戦争のできる国にしょうとしている人たちの、飽くことのない黒い企みのひとつです。この人たちにとっては、「美しい国」の軍隊が、従軍慰安婦を強制連行したり、戦闘下で集団自決を命じたりする訳がないのです。
 大江健三郎さんが、この集団自決と日本人(旧守備隊長含む)について論ずる中で、「この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない・・・・・新世代の日本人が・・・・・倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしない(で)・・・・・大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積み重ねている」(『沖縄ノート』)と厳しく警告したのは、30年以上前の1970年のことでした。大きな国家犯罪とは、戦争そのものです。
  旧守備隊長等は、この『沖縄ノート』で集団自決を命じたように書かれたとして、著者と岩波書店を訴え、現在大阪地裁で審理中です。文部科学省は、この裁判も理由のひとつとしてあげています。原告側は、今回の文部科学省の検定を「半分目的を達したもの」と大きく評価しています。彼らの訴訟の狙いが、透けて見えます。大江さんの言う「真の罪責感の種子」は、彼らには枯れてしまったようです。

 書棚から太田昌秀編著『総史 沖縄戦』(岩波書店82年刊)を取り出し、慶良間諸島での集団自決の項を読み返してみました。生き残った幾人かの手記が、載っています。冒頭の金城重明(当時16歳)の体験は、集団自決の事実を、後世の私たちに突きつけてきます。沖縄戦の事実を記憶し続けていくためにも、長文であることをためらわず、一文字一文字を心に刻みながら、キーボードを叩きます。
 金城さんは戦後牧師となり、沖縄キリスト教短大の学長を務めた方です。

 「軍が慶良間列島に上陸したのが20年3月26日、翌27日に、私たちは阿波連の部落から渡嘉敷島へ移動した。そのときはすでに、私たちには軍と行動をともにするという意識が徹底されていて、みな玉砕の覚悟をもっていた。防衛隊から配られた手榴弾を各々が手にして、ひたすら日本軍の命令を待っていた。だいぶんたって、軍からやっと自決命令が下った。
 ところが、最後まで闘う覚悟のはずの日本軍の陣地からは一発の応射もない。米軍の攻撃は、しだいに私たちに迫ってくる。すでに意を決していた私たちは、手に手に手榴弾のセンを抜き爆死を試みた。だが、前日からの雨で湿気をうけていたせいか、ほとんどがじゅうぶんに発火せず、手榴弾の犠牲者はほとんどなかったといってよいくらいだ。・・・・・
 私は米軍の爆風に冒され、意識が朦朧としていたが、明らかに死を意識したことだけは確かである。やがて意識がはっきりしてくると、私の眼前で阿波連の区長が木を一本折って、妻や子供をなぐり殺している場面が眼に映ってくるではないか。そのときの驚きようは、とてもことばにならない。
 その情景を見ていたまわりの人たちも以心伝心で、つぎつぎと家族同士、木やカマを使って殺しあい始めた。互いにこん棒で打ち合い、自らの頸部をカミソリで切り、あるいはクワで親しいものの頭をたたき割る・・・・・
 身内だからできることだ。他人にこんなむごいことができるはずがない。私も、兄といっしょになって夢中で母と妹をなぐり殺した。半ば放心状態だった。・・・・・屍となった母と妹を前に号泣していた私のところに、1人の少年が駆けつけてきて「こんな犬死をするより、米軍に斬り込んで死のう」と誘った。私は同意した。死ぬのがいやだったわけではない。死の手段を変えたというつもりだった。さっそく、居合わせた女子3人と兄と私の5人で、棒切れを持って米軍へ切り込みを図るべく、山のてっぺんに登った。ところがその途中、玉砕していると思った日本軍の兵士に出会った。さらに先へ行くと、多くの住民が生きのびているではないか。驚いた私たちは、瞬間、話が違う、裏切られた、という気持ちにおそわれた。はやまった、家族が生きていてくれたらと願った。しかし手遅れである。このときから、私たちの胸中には日本軍への不信感が焼きついてしまった。
 集団自決までは、私たちは日本軍と一体感をもっていた。しかし、自決騒動の後は米軍より日本軍が恐ろしくなった。ちょっとしたことで日本軍の気にくわないことをすると、すく゜首をハネるのである。
 7月19日、赤松大尉が投降して、完全にこの島が米軍支配になるまで、私たちは日本軍に対する恐怖心はなくならなかった。」

 キーをたたく指先が、凍ったように止まってしまいます。憤りと悲しみなしには、読み続けることができません。私の父は、軍隊時代はもっぱら軍馬養成の任に当たり、戦闘のあった外地にも沖縄にも行ってません。ただそれは、偶然そうであったに過ぎず、父が「赤松大尉」であった可能性をぬぐうことはできません。大江健三郎さんの言う「倫理的想像力における真の罪責感の種子」は、一人ひとりの日本の国民が、真摯に歴史と向き合うことによってのみ萌芽しはじめるのだということを、肝に銘じたい。

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