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2007年4月 8日 (日)

字幕屋さんの日本語論

 太田直子著『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』を読みました。本の帯に書き込まれた宣伝文句のような表題ですが、内容はこの表題の通り。ノリのいい冗談の連発は愉しく、ワサビの効いた現代日本語批判は、なかなか説得力があります。映画字幕世界の舞台裏も、興味津々で面白く、一気に読み通してしまいました。外国映画を観るときは、字幕にすっかり世話になっているにもかかわらず、その制作の苦労にまで思いの及ぶことは、一度もありませんでした。まずは著者をはじめ、すべての字幕屋さんたちに、感謝。

 はじめに、映画字幕の新知見。順不同。
①日本最初の映画字幕は、1931年、ゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒ主演『モロッコ』。
②一作品の字幕原稿は、1週間で出来上がり。
③競争相手は、吹き替え。シネコン入口での会話「吹き替え版は満員?・・・字幕版でも、まあいいか」。
④句読点不使用、スペースと改行で代替(メール・ブロッグで大流行)。
⑤非英語圏の映画は、英語台本翻訳→専門家監修、専門家翻訳→字幕屋→専門家監修で、ほとんどすべての言語を字幕化。
⑥禁止用語1、ゴダール監督『気狂いピエロ』。深夜テレビの放映は原題『ピエロ・ル・フ』。
⑦禁止用語2、会話の中のドストエフスキー『白痴』。著者懸命の努力で、そのまま放映。
⑧禁止用語3、「片手落ち」「片親」「片目のジャック」「この時計は狂っている」「未亡人」。⑨禁止用語番外編、衛星テレビでの爆笑喜劇映画に登場の「プリンス・キョウト」場面のカット。あやしげな日本語で「おれ」と語る日本のプリンス登場で。これは本文を読んで、爆笑していただきたい。 

 次に、字幕屋家業からみた現代日本語論。
 著者は、映画の字幕翻訳は普通の翻訳と違い「要約翻訳」であるといいます。つまり俳優がしゃっべっている時間内しか翻訳文を画面に出せないので、せりふの内容を100%伝えられないのです。ではどの程度要約するのか。「1秒=4文字」の原則。そこで字幕屋は、「簡潔明瞭な言葉」を求めてさまよい、「わずか1字2字の増減に汲々とする」というわけです。そして、この「簡潔明瞭な言葉」探しの彷徨から、「日本語が変だと叫ぶ」に至ります。著者の指摘を、いくつか紹介します。
①字幕では、むやみに「?」「!」を多用しない。が、世の中「?」「!」が氾濫している。メール、漫画本、TV番組表。うるさく、押し付けがましい。
②難しい漢字にふるルビはともかく、簡単な文字にもルビ、「許し難い」のは混ぜ書き。「だ捕」「誘かい」「ばん回」「危ぐ」「そ上」「じゅ文」「真し」・・・・・。
③「させていただく」の多用、誤用、ごてごてした言い方にウンザリ。「作らさせていただく」「休まさせていただく」・・・・・。著者の告発。「『させていただく』ににじむもうひとつのポイントは、『する』のではなく『させてもらう』という心情だ。つまり、主体的な意思よりも、相手の許可・裁量に重きが置かれている。一見、相手を第一に立てる美しき謙譲だが、裏を返せば相手に判断を委ねる無責任な態度にも感じられる」。
④映像や文脈が読めない。そこで、余計な説明やナレーションが必要となる。
⑤教養がない。シェイクスピア劇の現代風アレンジ映画を見た青年が言う「ところでさあ、シェイクスピアって誰だっけ?」。

 かくして今日も、字幕屋さんの悪戦苦闘が続きます。
 さて、今日の午後は、映画を観にいくことにしようかな。

 

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