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2007年5月 5日 (土)

映画 『約束の旅路』

  ラダュ・ミヘイレアニュ監督作品『約束の旅路』を観ました。
  「いきなさい」という母の強い意志に従って、スーダン難民キャンプからイスラエルへ脱出した、ひとりの少年の成長物語です。1984年11月、イスラエルはアメリカの支援のもと、ファラシャ(エチオピア系ユダヤ人)をイスラエルへ帰還させる大作戦(モーセ作戦)を展開しました。キリスト教徒である少年は、自分をユダヤ人だと偽って、脱出に成功します。イスラエルでは、愛情深い養父母に迎えられ、実子同様に育てられます。肌の色や宗教上の壁、ユダヤ人と偽っていることへの自責、そして難民キャンプにいる母への思いが、少年に重くのしかかってきます。やがて成長し、母のいるアフリカの厳しい現実をしります。そして、医者を目指してパリへ向います。

  養父に連れられて西の壁へ行き、紙に願いごとを書いて壁に差し込む場面がありました。少年の養父に問いかける言葉は、印象的でした。「願いごとだらけ。エルサレムの人は不幸なの」。
  学校での討論会の場面も、強い印象を受けました。正統派ユダヤ教徒と思われる生徒と少年(彼はキリスト教徒だった)の対決です。テーマは、「アダムの肌は何色だったか」。正統派君は論じます。「アダムは神の形に造られた。神の選んだ肌の色は、美しい白。だから、アダムは、白人だった。」少年は、初めは小さな声で自信無く話しますが、恋人や養母たちの熱い視線に励まされ、明確に反論します。「神は粘土と水からアダムを造り、言葉の命を吹き込んだ。ヘブライ語で、赤はアドム。アダムの肌は、白でも黒でもない、粘土色の赤だ。」
  医者になって帰国しますが、そこで待っていたのは、2000年のインティファーダ。衛生兵として戦場を駆け巡ります。負傷したアラブの少年の手当をしています。そこへアラブ人の男がやってきて「俺の子に触るな。ユダヤ野郎。」とののしられます。上官からは、味方だけの治療を命じられます。次の瞬間、銃撃を受けて倒れます。幸い命はとりとめます。
  国境なき医師団としてスーダン難民キャンプへ行き、別れた母と再会します。このラストシーンは、悲しく救いのない難民たちに、希望の光を与えるものでした。

 青年期を演じた俳優シラク・M・サバハは、エチオピア系ユダヤ人で、91年の「ソロモン作戦」でイスラエルに脱出した経験の持ち主だということです。この映画の現実性を突きつけられた感じです。また監督は、チャウシェスク政権下のルーマニアから逃亡し、フランスに住みついた経験をもっています。この作品は、難民たちが世界のひとびとに発した「私たちの現実を見て欲しい」というメッセージだと思います。

 
 

 

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