トルコ、イスラムそしてオルハン・パムク『雪』
今日の朝日新聞朝刊に、22日実施のトルコの総選挙情勢の特集記事が、掲載されました。冒頭「国民の大半はイスラム教徒だが、ケマル・アタチュルク初代大統領以来80年余、政教分離の世俗主義を貫いてきたトルコの政治体制が大きな瀬戸際に立たされている」と報じています。主たる対立は、イスラム主義の流れをくむ与党の公正発展党(AKP)と政教分離の世俗主義の共和人民党(CHP)との間にあります。AKPは、「世俗主義は守りながらもイスラム的価値観の尊重は自然だ」という立場で、民主的な選挙で国民多数の支持を得ています。一方CHPは、「民主主義は大事だが、世俗主義が崩れればイスラム原理主義が広がり、民主主義の土台が崩れる」と主張します。そして「西洋的世俗主義を訴える者が強権的な力の行使を否定せず、親イスラム勢力が民主主義を重んじるという「ねじれ現象」がトルコ情勢を複雑にして」います。そして、世俗主義の守護者としての軍部が、政治に睨みをきかせています。
イスラム原理主義が広がりつつあるパキスタンの首都イスラマバートで、モスクに立てこもったイスラム神学生を政府軍が武力で鎮圧し多数の死傷者を出したのは、10日前のことでした。武力鎮圧後パキスタン各地で、テロの嵐が吹きまくり、既に50人以上の死者を出したと読売新聞は伝えています。
この10日間ばかり、たまたまトルコ人のノーベル賞作家オルハン・パムクの『雪』を読み続けていました。この小説は、トルコにおけるイスラム主義と近代主義、原理主義と世俗主義、過激主義と穏健主義等々が複雑に絡み合う情況を見事に描いた政治小説です。上記のトルコやパキスタンの「現在」が、そのまま小説世界に描かれています。
本書の表紙カバーに書かれた紹介文を引用します。
「舞台は1990年代初頭、トルコ北東部のアルメニア国境に近い地方都市カルス。往年の栄華も消え去り貧困にあえぐこの都市では、イスラム主義と欧化主義の対立が激化し、市長殺害事件、少女たちの謎の連続自殺事件が相次ぐ。例年にない大雪で交通が遮断され、陸の孤島と化したカルス。雇われ記者として事件を取材に訪れていた無神論者の詩人Kaは、学生時代の憧れの女性イペッキと遭遇し情愛の炎を再燃させるが、折りしも発生したイスラム過激派に対抗するクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれていく・・・・・・。」
物語の始めのほうに、イスラム原理主義のテロリストと政教分離・世俗主義政権下の教員養成所の校長との間の長時間にわたる会話が出てきます。この小説で、最も刺激的で恐ろしい場面です。しかし、トルコとイスラム、世俗主義と原理主義等の理解に、極めて示唆的なシーンとなっています。要約を引用します。
先生は無神論者ではありませんね?/わしはモスレムだ。わしもアラーを畏れる者だ/もしアラーを畏れるのなら、コラーン(の一節を)聞かせてほしい/この節では女たちは髪を覆うように、顔を見せないようにとはっきり言っている/(では)アラーの命令で髪を覆っている少女たちを学校に入れないことと両立するか?/髪を覆った少女たちを学校に入れないことは、政教分離主義国家の命令だ/国家の命はアラーの命よりも上だろうか?/それらは政教分離の国では別のものだ/それでは政教分離は無神論ということになります?/いいや/それなら宗教の命に従う少女たちをどうして政教分離の口実で授業に入れないのか?/息子よ、この問題を議論しても結論は出ない/従順な少女たちが教育の権利が奪われることは憲法や教育と宗教の自由に合っていますか?/もしその少女たちが従順ならば、髪も覆わないだろう/モスレムの信者たちになされた不当なことが頭に引っかかると、トルコのどこであれ、バスに乗って、頭に引っかかった問題の人のところに行って、面と向って不当な扱いについて聞き質します。政府の命令とアラーの命令とでは、どちらが大事ですか?/この問題は解決できない。息子よ、コラーンは盗人の手を斬るように言っているが、国は斬らない。それにはどうして反対しないのかね/盗人の腕と女たちの操が同じだと言うのか?女たちがヴェールを被るイスラム圏では、婦女暴行事件はゼロに近く、困らされることはほとんど皆無だ/息子よ、お前の名は?/俺は政教分離の物質主義者の国で、信仰のために戦い、不当な扱いを受けた無名の英雄たちの無名の庇護者だ/先生よ、あの少女たちに何をしたか覚えていますか?アンカラから来た新しい指令に従って、彼女たちを教室にいれず、学校の外に追い出しました。逆らってスカーフをはずさない少数の少女たちを・・・警察が逮捕して引っ張って行った晩、良心が痛まずに眠れたか?/本当の問題はスカーフを象徴にして政治的芝居に利用したことによって少女たちを不幸にしたことだ/芝居だって?先生よ、学校と操の間で悩んだ少女の一人は、かわいそうに自殺した。これが芝居か?/息子よ、お前はひどく怒っているのだろうが、トゥルバンの問題をこのような政治的な問題にしているのは、トルコを分裂させ、弱体化させようとする外の力があることがわからないのか?・・・息子よ、わしはお前の父親の齢の教師だ。コラーンで年長者にピストルを向けて侮蔑せよと言っているのかな?/スカーフを被っている少女が、スカーフを外すことがこの国の何の役に立つのか?・・・スカーフを外せば、ヨーロッパ人が彼女を人並みに扱うだろうとか、目的が分かれば、お前を撃たない/息子よ、わしにも一人娘がいる。スカーフはしていない。わしはスカーフを被っている妻にも干渉はしないし、娘にもしなかった/髪を覆った少女たちが髪を出すことの良心にそぐう、たった一つの理由を言え。そうすれば・・・お前を撃たない/女がスカーフを外せば、社会の中でもっと楽になる。尊敬される/覆うことは・・・女を暴力や侮辱や陵辱から守(った)・・・覆った女は、外で男たちの動物的本能を刺激したり、他の女たちと魅力を競う必要がない・・・絶えず化粧する哀れな性的対象物になることもない/わしは心の中でこの国のお前たちやトゥルバンの少女たちのことを信じて苦しんでいる。若い者たちに対する愛で満ちている/憐れみを乞うても無駄だ・・・イスラムの正義の戦士たちはずっと前にお前に死刑の判決を下した・・・全会一致で決定された。俺を処刑のために送ったのだ・・・・・。
本書で一貫して追究されているのが、スカーフを政治的シンボルとして用いる「トゥルバン」といわれるものです。長々と上に引用したイスラム原理主義者と世俗主義モスレムとの会話の中心テーマも、このトゥルバンについてでした。フランス始めEUの国々でも、イスラム教徒の女子学生の学校でのスカーフ着用の是非が、大きな問題になっています。上記の対話(実際は脅迫ですが)でのイスラム原理主義者の、相手に有無をも言わせぬ頗る単純な論理に、いささか呆れながらも恐怖を感じます。
70年代の著名な進歩的演劇人であり、現在は落ちぶれた劇団の座主であるスナイ・ザーイム。イスラム過激派に対するクーデターの首謀者の一人です。
「俺も若い時は・・・気違いのように夢中になって西洋の映画を見たものだ。サルトルやゾラの全てを読んだ。我々の未来がヨーロッパであることを信じた。今、この世界が崩壊するのを、姉妹たちが髪を覆うことを強制されることを、詩が宗教にふさわしくないといってイランの於けるように、禁止されるのを手をこまねいて見てはいられない・・・・・すこし西洋化した、誰をも、殊に民衆を馬鹿にする、自惚れたインテリたちがこので国に生きていられるためには宗教分離主義の軍が必要なのだ。さもなくば、反動的モスレムが、彼らを、そして塗りたくったその妻たちを、ナイフで切り刻む・・・・・」
冒頭の朝日記事にあった「西洋的世俗主義を訴える者が強権的な力の行使」を唱えるというまさにそうした人物として登場します。イスラム主義が過激になればなるほど、「民主主義」を守るためとして世俗主義政権は、強圧的・弾圧的になります。パキスタンのムシャラフ政権も、まさにこの轍を踏んでいるのです。
最後に、イスラム過激派指導者〝紺青〟と主人公Kaの会話を引用します。
「西の人々が考えているように、我々がここで我々の神とこれほど強く結ばれている理由は、かくも貧しいことではなくて、なぜこの世にいるのか、そしてあの世でどうなるのかに誰よりも関心をもっているからだ・・・(西の人々の)偉大なる発見であるデモクラシーを神の言葉よりもより信じているように見える西は、カルスのデモクラシーに反する軍のクーデターに反対するだろうか?・・・彼らにとって大事なのは、デモクラシー、自由、人権ではなくて、遅れている後進世界が西を猿のように真似ることか?自分たちに全然似ていない敵が達成したデモクラシーを西は受け入れられるか?それに、西の外にいる、この世の他の人々に言いたいことがある・・・兄弟たちよ、君たちは一人ぼっちではない・・・・・と。」
「西、西と言って、あたかもひとりの人間、一つの見解があるかのように話すことは彼らの気に入らないことになる・・・西ではこんな風に生きていないということだ・・・ここの人々の反対に、人々は他の誰もと同じように考えるといって喜ばない。小さな食料品店主でさえ、個人の意見があると言っていばるのだ。だから西のデモクラシーと言ったら、向こうの人々の良心によりよく語りかけることになる。・・・・・このことは言わねばならない。皆幸せであった・・・とても真面目だった・・・そのせいで幸せだったのかもしれない。人生とは、彼らにとって、責任ある、まじめなことだった。この国(トルコ)でのように、めくらめっぽうな努力や苦しい試練ではない。しかしこの真面目さは、生き生きしていて、ポジティブなものだった。カーテンの柄の熊や魚のように色とりどりでそれぞれ幸せだった・・・・・彼は注意深く聞いて、同じように繊細で、丁寧で礼儀正しかった・・・」
このKaの話は、著者オルハン・パムクのヨーロッパ理解を如実に示したものだと思います。それ故に、こうしたヨーロッパへの仲間入り、トルコのEU加盟への願望が、国民の間にも根強くあるのだと想像します。そして、〝紺青〟のヨーロッパ批判は、この『雪』発行(2002年)のあと、ブッシュによって実証されます。日本の小泉と安倍も、これに加担したことを、イスラムの人たちは記憶に留めていることだと思います。
多様・多彩な登場人物と政治的立場、息もつかせず目くるめくような物語の展開、邂逅と別離の恋人たちの喜びと悲しみ、いずれもどっしりと腹に響く重量級の読書でした。
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