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2007年7月24日 (火)

映画『殯の森』

 河瀬直美 監督作品『殯の森』を観ました。
 青空のもと、ゆったりと風に揺れる森の木々。刈り込みを終えた茶畑の間の小道を、村人たちの野辺送りの列が、鉦の音を静かにともないつつ、進んでいきます。この村の里山に、昔ながらの広い農家を利用した、軽い認知症の老人たちが共同生活をするグループホームがあります。主人公は、そこに住む70歳の男性しげきと、新任介護士の真千子。しげきは、33年前に若くして亡くした妻との思い出にこもり込み、静かな生活を送っています。真千子は、子供を事故でなくしそれが原因で夫とも別れ、深い喪失感のなかに浮遊しているようです。ともに掛け替えのないひとを亡くした二人が、介護する・される立場で、偶然に出会います。

 寺の僧侶の教えに従い、「手を取り合い、元気ですかと声を掛け合う」ことに「生きる」ことを実感し始めるしげき。美しい茶畑のなかで、鬼ごっこをしてはしゃぐ二人は、幼児のように天真爛漫であり、ともに心を開いていきます。畑の西瓜を二人で食べあう場面がありました。お互いに、西瓜の大きなかけらを、相手の口に押し込みあい、大笑いのなか美味しそうに食べます。「食べる」という「生きる」ことに、二人は幸福な瞬間を味あいました。
 ある日、二人はしげきの妻の墓参りに出掛けます。車の故障をきっかけに、しげきが、妻の墓をもとめて、森の中に入っていきます。それを追いかける真千子。が、しげきは更に森の奥へ走ります。日が暮れはじめ、そして雨足がだんだん強くなります。迷い込んだ森の中で、二人はづぶぬれになります。小さな焚き火に暖を取りますが、しげきは寒さに震えます。真千子は、必死になってしげきの身体を擦り、裸体をしげきの身体に覆い被せて、自分の体温でしげきを暖めます。真っ暗闇の森の中、小さな焚き火にうつしだされる二つの裸体。唯一のエロチックなシーンです。生を求め合う裸体が、静かでしかも美しい。
 日が昇り、雨は降り止みます。二人は、しげきの妻の墓にたどり着きます。リュックに大切に仕舞われていた思い出の品々を、墓に置きます。そして、しげきは、妻を埋めた森の土を掘り始め、その穴に自ら横たわります・・・・・

 美しい映画です。青い空、稲穂のゆれる田圃、刈り取られた茶畑、そして緑の森。こうしたありふれた景色が、生と死をテーマにした映像の中で、こよなく愛しく懐かしいものとして立ち現われます。そして、グループホームのお年寄りたちもまた、懐かしく愛しいひとびととして、描かれています。彼らの登場するシーンは、ドキュメンタリー映画のような雰囲気です。各人が、思い思いに語り、思い思いに生活しています。
 静かな映画です。ほとんど会話がありません。数少ない会話の中で、真千子と介護主任 和歌子との会話は、大変重要な意味を持っていると思います。真千子が介護に自信を失いそうになったとき、和歌子は「こうしゃなあかんこと、ないから」と励まします。奈良言葉が、やわらかに身体を包み込んでくれそうですが、主張は毅然としています。この映画では、「介護」そのものは決して主要なテーマではありませんが、この主任の言葉ひとつで、十二分に「介護」を語り尽くしているような気がします。それにしても、奈良の言葉は、私の京都の言葉とほとんど変わらず、懐かしさがこみ上げて来ます。

 カンヌ映画祭でグランプリを受賞しました。ヨーロッパはじめ世界の人々から、激賞されました。映画ファンとして、こんなに嬉しいことはありません。日本国内での興行が、大成功を収めることを、心から祈ります。
 
 

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