『浜田知明展』そして大川美術館
昨晩のNHK「新・日曜美術館~アートシーン~」で紹介された桐生市の大川美術館で開催中の『浜田知明展』に行ってきました。浜田知明も大川美術館も、今回の番組ではじめて知りました。
自宅から車で1時間余、桐生市を眺望できる水道山という小高い山の中腹に、小さな美術館がありました。周囲は人気も少なく、閑静な公園になっています。 この美術館は、当地出身の実業家大川栄二さん(元ダイエー副社長)の、40年間にわたるコレクションが展示されています。旧第一勧銀社員寮を改築し美術館としたものです。
最初の小さな部屋で藤島武二の作品をみているとき、もう一人の男性の観客が大声で「地震だ」と叫んだ瞬間、グラッときて驚きました。たいした揺れではなかったのですが、この男性の予兆のような声に、びっくりしたのでした(帰宅の車のラジオで新潟中越沖地震のことを知りました)。この男性、地震にシャープな反応をしたのは仕方ないとしても、ひとつひとつの作品に、小うるさいほどの反応をするものですから、先に行っていただきました。幸いその後は、ほとんどひとりでの観賞を、存分に楽しむことができました。
松本峻介のコレクションがありました。松本作品は昨年夏、岩手県立美術館で始めて観たのですが、どこか気になる画家として記憶に残っていました。代表作の『街』がありました。もやっとした色つかいの一方で、人物や建物の輪郭を鋭い線でかたどる独特の技法は、不思議な世界をかもしだしています。やはり岩手の人、舟越保武の作品もありました。『田沢湖のたつこ』。あの田沢湖の『たつこ像』の習作なのでしょうか、がすでに完成度の高い彫像です。「静謐」という言葉は、舟越の作品にこそ相応しい言葉だと、いつもながらに感じました。
難波田龍起ファミリー(父親と2人の息子)のコレクションのうち次男史男の作品に魅せられました。シュールな作品は余り好まないのですが、奇妙な形のものどもとそれに被せられた淡い色調が織りなす独特の雰囲気が、解釈のいらない魅力をもたらしています。
ひとつの小窓があけられた白壁の小さな部屋がありました。ミロの部屋です。もしこの窓から、群青色の空がのぞいていたなら、あのカタロニアにきたと錯覚するのではないかと、すこし思いました。
さきに、「小さな美術館」と書きましたが、中を進むにつれその広さと豊富なコレクションに驚きました。斜面沿いに建った3,4階の建物なのです。すっかり堪能しました。これからも、たびたび訪ねてくることが楽しみな美術館です。
そして、最後の部屋が、今日の企画展『無限の人間愛 浜田知明展』です。 『初年兵哀歌(歩哨)』(エッチング1954)
真っ暗な兵舎に、ひとりの初年兵がいます。小さな窓から射しこむ光が、この兵の姿を映し出します。眼には一筋の涙がながれ、口を少し開けて力なく、絶望している。銃口を喉にあて、左足の親指で銃の引鉄を、いままさにひこうとしている。この兵隊に、何があったのでしょうか。敵と味方の死、殺す・殺される日々、不条理な軍隊生活・・・・・。
浜田の銅版画は、一切の虚飾を取り除いて、直接にテーマを突きつけてきます。戦争の悲惨さが、初年兵のからだのすみずみに表現され、観るものに強く訴えてきます。
『男と女』(エッチング1976)
こんな作品もありました。上記の初期の作品と比べ、どこかユーモラスです。
今回の「浜田知明」との出会いは、大切にしたい。浜田の世界から、何か大きなもの、貴重なものが見えてくる予感がします。
« 参議院議員選挙公示 | トップページ | トルコ、イスラムそしてオルハン・パムク『雪』 »
コメント