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2007年8月26日 (日)

ネット・デモクラシー

  先の選挙で当選した元自衛官佐藤正久参院議員の発言が、ネットで波紋を広げています。
 その発言とは、「(オランダ軍が攻撃を受ければ)情報収集の名目で現場に駆け付け、あえて巻き込まれる。巻き込まれない限りは(武器使用が可能な)正当防衛、緊急避難の状況はつくり出せない。普通に考えて手を差し伸べるべきだという時は行ったと思う。日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」というもの。 集団的自衛権を研究する政府懇談会が、海外に派遣された自衛隊が、活動をともにする他国軍が攻撃された場合に現場へ移動して応戦する「駆け付け警護」を容認する方向で一致した、とするテレビ報道のなかでの佐藤議員のコメント。自衛隊法および憲法違反、シビリアンコントロール逸脱等の問題が指摘されています。
 ネットでの波紋の広がりを追っていくと、加藤哲郎さんのいう「インターネット・デモクラシー」の実相が、見えてきます。

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2007年8月24日 (金)

パール判事のこと

 日本の夏は、戦争の記憶を呼び起こし平和を祈願する季節です。新聞やテレビは多くの特集を組み、読者や視聴者は多忙な日常からすこし解放されて、紙面を読み番組を見ながら、戦争と平和に思いを寄せます。大切な習慣が、この国に根付いていることを、肯定的な気持ちで実感します。
 今年の夏は、パール判事が話題になりました。
 NHKスペシャル『パール判事は何を問いかけたか~東京裁判・知られざる攻防』(NHK総合07.8.14放送)と中島岳志著『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社 07.8.15刊)の二つの作品が、私にとっては貴重な収穫となりました。
 一方、インド訪問中の安倍首相は昨日、自ら要望してパール判事の長男に会った、とニュースは伝えています。この訪問については、私も朝日新聞社説(07.8.18)の懸念を共有しますが、当の首相の顔には、「そんなことどこ吹く風」のような気楽さが、漂っていました。

2007年8月18日 (土)

尾瀬ヶ原散策

 昨日、尾瀬ヶ原を散策してきました。
 この時期としては珍しく、人は閑散としており、戸倉-鳩待峠間の車の乗り入れ規制もありませんでした。鳩待峠に到着して車外に出た途端、長袖シャツを持ってこなかったことを後悔しました。鳥肌がたつほど寒かったのです。車の温度計では、18℃を表示していました。自宅を出る時は、朝6時ですでに25℃を超えていたし、前日の群馬は40℃を超えたこともあって、長袖シャツを持っていくことは、頭から消えていました。私の、未熟さが現われました。ただ、30分も歩くと、少し汗ばむほどになってきましたが。
 ミズバショウやニッコウキスゲなどの、尾瀬を代表する花たちは、すっかり姿を消していました。そして、尾瀬ヶ原では、紫色の秋の花たちが、主役となっていました。

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2007年8月16日 (木)

戦争を記憶する

 アマゾンに注文していた浜田知明著『よみがえる風景』(求龍堂 07.4.3 刊)が届いたので、早速読んでみました。浜田の銅版画作品は、先月、桐生の大川美術館で初めて観たのですが、その際、彼の戦争体験を描いた『初年兵哀歌』の一連の作品に、強い衝撃を受けました。この画家のことをもっと知りたいと思い、最新刊の上の著作を買い求めたのです。
 戦後、多くの文学者たちが、自らの戦争体験を小説として残しています。軍内部の不正・腐敗と不条理の体験、戦地での残虐無比な加害体験、広島・長崎・沖縄等での被害体験などが、描かれました。戦争を知らない私たちは、こうした戦争文学や原爆文学を読むことによって、戦争について想像し憲法9条の意味を、理解しょうとしてきました。戦後体制とは、こうして戦争体験を引き継ぎ記憶し続けようとする市民一人ひとりの心の在り様によって、支えられてきたものだと思います。
 画家たちもまた、戦争の記憶を作品にして残してくれました。浜田知明もその1人です。

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2007年8月15日 (水)

奥利根水源の森

 夏休みは、息子や甥・姪とその子供たちがわが家に集まり、2泊3日の集団生活を楽しみました。題して、「07いとこ&はとこ会」。ことしは、お袋も参加して4世代18名の大所帯の集いとなりました。
P1040832  初日、お昼は恒例の流しそうめん。裏の竹薮から、直径10cmくらいの真竹を採ってきて真ん中で縦に割き、節をとってできあがり。これをやると、普段は食の細い子供たちも、夢中になってそうめんを食べます。上流で、そうめんの流し役は、それはそれは多忙です。

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2007年8月 9日 (木)

小田実の『遺言』

 7月30日に亡くなった小田実の最後の著作となった『中流の復興』(NHK出版07.6.10刊)を読みました。巻末に「「あとがき」にかえて―友人、知己への手紙」という一文があります。それは、小田も審判員として参加していた「恒久民族民衆法廷」(略称「PPT」)の、現在フィリピンで起こっているアロヨ政権による、合法をよそおった非合法の殺し、弾圧、拷問に対する告発・証言・分析&判決文が添付された手紙です。そして、手紙の中に、小田の末期がんであることの「私事」が、伝えられています。4月21日の日付です。
 小田のホームページを開いてみますと、「市民のみなさん方へ」と題した6月2日付けの手紙が掲げてあります。内容は、上の手紙と同じものです。これは、限られた余命のなかで最後の力をふりしぼって書いた、小田実の遺言だと思います。亡くなる直前まで、弾圧されるフィリピンの有名・無名の人々への連帯と支援とを続け、誰か自分に代わってフィリピンへの調査団派遣を、と言い残して逝きました。

 「人生一巡、みなさん方とともに生きたこと、生きられたことを、幸いに思います。ではおたがい、奇妙な言い方かもしれませんが、生きているかぎり、お元気で。」

2007年8月 5日 (日)

前橋空襲を語る

  地元の「9条の会・結成一周年記念の集い」があり、参加してきました。この会は、大江健三郎さんや井上ひさしさんたちが出された「9条の会アピール」に賛同する地元の人たちが集まって、昨年7月に結成されたものです。
 今日の集まりは、50人余の参加で、ほとんどがシニア層で女性が8割がたでした。集会では、2つの戦争体験が語られました。そのひとつ、元教師のNさんが、「前橋空襲を語る」と題して話をされましたので紹介します。今日8月5日は、前橋空襲62周年の日でした。

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2007年8月 4日 (土)

大徳寺・龍源院の枯山水の庭

  姉の家に世話になっているお袋を迎えに、京都宇治へ行ってきました。京都駅に昼過ぎに着いたので、予定の夕方までの時間つぶしに、大徳寺の龍源院に寄り道していくことにしました。京都の寺院の中では、好きな庭園の一つです。今までの経験では、観光客は少なく、ひとり静かに枯山水を楽しむことができます。
 この龍源院は、臨済宗総本山大徳寺の塔頭の一つで、16世紀はじめの室町時代に創建されました。ここの魅力は、室町時代に建てられた本堂(方丈)の四囲にある枯山水の庭園です。

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