大徳寺・龍源院の枯山水の庭
姉の家に世話になっているお袋を迎えに、京都宇治へ行ってきました。京都駅に昼過ぎに着いたので、予定の夕方までの時間つぶしに、大徳寺の龍源院に寄り道していくことにしました。京都の寺院の中では、好きな庭園の一つです。今までの経験では、観光客は少なく、ひとり静かに枯山水を楽しむことができます。
この龍源院は、臨済宗総本山大徳寺の塔頭の一つで、16世紀はじめの室町時代に創建されました。ここの魅力は、室町時代に建てられた本堂(方丈)の四囲にある枯山水の庭園です。
まず、方丈前庭園。一枝坦(いっしだん)と呼びます。正面右奥の大きな岩山は、蓬莱山を現しています。苔生す環のなかにあるのが亀島。そして右手前に鶴島を配しています。
方丈の北側にあるのが龍吟庭 (りょうぎんてい)。大地から盛り上がるような苔は、深閑と静まり返る原生の森を現しているのか、勢いよく立ち上る雲海なのか。中央の石組みは、須弥山をあらわすという。洋々たる大海は、前庭の白砂に任せたい。
東滴壺(とうてきこ)。白砂が渦巻くなかに、5つの石が2と3とに組み合わされ、小さな隙間のような空間に、広大な海原がイメージされます。石と白砂だけで造形された東滴壺は、簡素のきわみですが、表情は豊かです。1960年作庭とは、今回始めて知りました。
東滴壺の南側に、井戸がありました。背後に背丈の短い竹を配し、水を得るための生活手段が、落ち着いた風情をかもし出していました。
方丈中央の室中(しっちゅう)襖絵龍図。作者は不明,桃山~江戸時代の作といわれています。襖一面に所狭しと荒ぶれる龍。好きな龍図のひとつです。
お袋は、群馬の私の家に来るのは、3年ぶりです。1913年生まれで、ことしで94歳になります。昨秋、私たちと同居していた家内の母親が亡くなり、いずれ私の母を引き取らなければと、家内と相談していたのです。姉夫婦も、70歳に手が届くところにきましたし、これまで十二分に母の面倒をみてくれたのですから。ただ、お袋は、私の家に来ることを、「年寄りが子供の家を盥(たらい)廻しされる」と、心のどこかで感じているようです。若い頃から、人一倍プライドの高い性格で、そうした「盥回し」される自分には、我慢ならないようです。もちろん、長年住み慣れた京都を離れたくない気持ちも、相当に強い。
とりあえず1,2ヶ月の滞在予定と本人には言ってますが、実際その頃本人に打診して、京都へ帰りたければ京都へ、ここに留まりたければここに、のつもりです。
さて、これからどうなることか。
今日が、お袋の介護初日ということになるのか否か。
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こんばんは!!
やっとこさっとこ里山のふくろうがわかりました。今回はためしです
これからじっくり読んでいきますね(^^)/
投稿: グーチャン | 2007年9月10日 (月) 21時56分