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2007年9月15日 (土)

マイケル・ムーアの“SICKO”

  M・ムーア監督作品『シッコ』を観ました。
 冒頭、深く裂けた左膝の傷を自ら縫っている男性が登場します。思わず目を背けたくなるようなシーンです。また、仕事中の事故で2本の指を切断された大工が出てきます。医者は尋ねます。「中指の接合には6万ドル、薬指は1.2万ドル。どっちにしますか?」。大工は安い方を選びました。治癒後の手には、中指が欠けています。これらは、健康保険を持っていない人々の話です。「アメリカでは健康保険を持っていない国民が5000万人います」と字幕が流れます。が、「この映画はこのひとのものではありません」と続いたので、一瞬、おやっと思いました。

 つづくシーンでは、HMOと呼ばれるチープな保険に加入している人たちが登場します。
 心臓発作を起こした50代の夫とガンに罹った妻は、医療費の自己負担額を払いきれずに自宅を売り払い、娘夫婦の地下室へと引っ越してきます。狭い部屋には、病んだ老夫婦と娘夫婦、そして3,4人の子供たちがいます。子供たちが激しく泣きじゃくっています。不景気で地元に仕事のない娘の夫が、イラクの建設現場へ出稼ぎに行くのです。虚ろな表情で去っていった父親は、はたして無事に帰国したのでしょうか。
 夫の骨髄移植を待つ妻がいます。家族の一人の骨髄が、適合していたという朗報がもたらされ、喜びと希望に沸きます。しかし、保険会社がこの手術を認めようとはしませんでした。手術を受けることもなく、夫は亡くなりました。泣きながら妻は自問します。「なぜ?」「黒人だから?」
 保険に入っていても保険の適用にならず、命をなくし貧困に陥っていく人たち。『シッコ』は、民間保険会社の健康保険に入っている2億5000万人に、「この映画は、あなたのためのものだ」と訴えます。政府管掌の国民皆保険制度がなく、民間保険会社の保険商品に人々の命と健康が委ねられているアメリカの実像が、赤裸々に映し出されます。飽くことなく利益を求める保険会社と、わずかの賃金から保険料を支払い懸命に命と健康を守りたいと願う人々。しかし、この両者の目的は一致することなく対立します。保険会社は、利益をより大きく求めるために、患者の保険適用を出来るかぎり避けようとします。保険会社専属の保険認定の医者がいます。彼には、認定対象の10%を“No”とするノルマがかかっています。成績がいい、つまり保険適用拒否率があがれば、ボーナスが出ます。人々の生と死は、保険会社が握っているのです。そして、この制度は、保険会社のロビィーイストたちの活躍により、国会議員と政府により堅持されます。政府運営の国民皆保険制度を提唱していたヒラリー・クリントンも、保険会社からの多額の献金を受けるなかで、この主張を取り下げます。ブッシュは当然、最高額の献金を得ています。
 『シッコ』に映し出されれたアメリカに住む人々、命と健康を民間に委ねてしまった国に住む人々の顔には、笑いはなくただ涙が流れつづけています。
 M・ムーアは、他国の事情を見るために、カナダ・イギリス・フランスの3ヶ国を訪ねます。これらの国々では、政府管掌の健康保険が確立しており、医療費は全額保険でまかなわれています。5本の指を切断した男性は、接合手術によって元の手を回復します。これは当然のことです。アメリカで100ドル以上した薬が、たったの5セントで手に入ります(カナダ)。病院には会計がありません。だって、医療費は無料なんです。それどころか、交通費を患者に支払うシステムもあるのです(イギリス)。労働者は、退院後のリハビリに有給休暇が取れます。南フランスの海岸でゆっくりとからだを休めながら、英気を養います(フランス)。M・ムーアは、民間保険の国と政府保険の国の違いの大きさに、半ば驚き半ばあきれながら、「どこかおかしい、変えなければならない」と痛切に訴えます。
 9.11で救命作業にあたり、健康を害した救命士たち(彼らは国の医療助成からはじかれました)とともに、キューバのグアンタナモ海軍基地に乗り込みます。アメリカで唯一無償の治療が施されているからです。M・ムーアがハンドマイクで基地に呼びかけます。「9.11の救命士たちを、テロ容疑者のアルカイダと同じレベルの治療をして欲しい!」。ムーアのユーモアあふれる痛烈な皮肉です。当然のごとく無視された一行は、キューバの病院へ行きます。そこでは、医療スタッフが笑顔で迎えてくれ、高水準の医療技術で救命士たちの治療にあたってくれました。アメリカの医療制度の下で無視され放置された9.11の英雄たちは、アメリカの敵国キューバで、手厚く治療されたのです。

 M・ムーアの告発は、厳しく執拗で説得的です。『シッコ』全編から、人の命に関わる分野への市場原理や資本の論理の貫徹を、決して許してはならない、との明確なメッセージが、強烈に伝わってきました。小泉・竹中・安倍の改革路線が、アメリカ志向の市場原理であることはすでに明らかですが、M・ムーアのアメリカ国民への警告は、日本に住む私たちへの警告でもあると思います。郵政民営化のあとには、医療と教育と農業に対して、市場原理主義の導入が進められようとしています。

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