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2007年9月30日 (日)

お葬式

 隣家の78歳になる奥さんが亡くなられ、お葬式がありました。木曜日の昼過ぎ、家内から職場に電話があり、その夜に通夜、翌日葬儀ということで、出張の予定を取り止めて帰宅しました。隣保班の風習で、通夜・葬儀の2日間、各戸から2人づつ手伝いに出ることになっています。ただ、道路清掃のように出なかったときのペナルティーはなく、1人出るだけでも問題はありません。
 当地に住んで18年間に6度の葬儀を経験しました。前半の3回は、自宅での葬儀で、昔からの習俗の色濃いものでした。そして、ここ3回はホール葬となり、葬儀様式はガラッと変わり隣り組の役割も大幅に減りました。

 当地に住み始めて間もないころ、隣り組で不幸があり、農村での葬儀を村人のひとりとして初めて経験しました。その後2回自宅葬を経験しましたが、その自宅葬のことを思い出して記録しておきます。
 まず、不幸があると、喪主から班長を通して組の者に連絡が行き、各戸主が当家へと集まります。そこで、喪主から家族が亡くなったことが告げられ、同時に隣り組に葬儀が委(ゆだ)ねられ財布が預けられます。それから2日間、台所は喪家から隣り組の手に渡り喪家の入室はタブーとなります。日程については喪家と隣り組が相談して決め、班長が役割分担を組の人に頼みます。男衆は、つげ(友人・知人への通知)、僧侶との連絡、役所への死亡通知と火葬許可書とり、そして葬儀式の準備にあたります。女衆はもっぱら、喪家家族・親戚および隣り組の食事をつくります。4,50人の3食分(通夜、葬儀当日朝、昼)。おにぎり、うどん、野菜と厚揚げの煮物、野菜のてんぷら、ポテトサラダ(ハム入り)、きんぴら牛蒡などが定番です。ニンジンなどの赤いものは避けられます。祭壇飾り・幕張・納棺等は、農協指定の葬儀社に頼みます(現在は農協自ら施行)。
 通夜式は、主に身内と近所の者が集まり、僧侶の読経を聞きながら合掌し焼香をして、30分ばかりで終わります。その後、参列者は通夜ぶるまいとして酒食のもてなしを受けます。隣り組の男衆は、喪家や親族と一緒になって食事をしますが、女衆は接待で多忙を極めます。
 葬儀当日は朝から喪家宅に集合し、まず朝食としておにぎりをよばれてから、葬儀の準備にかかります。9時過ぎには、喪家と親戚は火葬場へ行きますので、出棺後男衆は、前日のうちに作っておいた葬儀に使う小道具(主に野辺送り)の点検や受け付けの準備をします。男は10人近くいるので、葬儀当日の午前中は、暇を持て余します。だから、つい話がはずみ、大きな笑い声が漏れたりします。葬儀社の若い社員を冷やかして遊ぶのも、暇つぶしにはもってこいです。女衆は、接待のため火葬場へ向かいます。2日目も女性は多忙です。手先の忙しさとともに口先も多忙で、葬儀の手伝いは、大切な情報交換の場となります。
 昼前には、喪家と親戚の人たちが、故人の遺骨をともなって火葬場から戻ってきます。午後からの葬儀に向けて、受け付けが始まります。三々五々、参列者が集まり受け付けをします。受け付けには、「新生活」と「一般」の2種類があり、前者は2,3千円の香典の方が、後者は5千円(1万円が多い)以上の香典の参列者が、それぞれ受け付けをします。香典返しも、新生活と一般の2種類が用意されています。
 葬儀・告別式は、隣り組班長の挨拶で開始、30分ほどの僧侶の読経のあと、何人かの方が弔辞を読み上げます。故人が高齢な場合、同窓生や戦友、あるいは老人会の仲間の弔辞が多いです。次に焼香が喪主から始まり、家族・親戚・地域有力者(町長や議員、区長等)・一般参列者と続き、最後に隣り組で終わります。焼香の間、弔電が読み上げられます。
 最後は、野辺送りの行列です。竜頭(棒の先に竜の頭部が載ったもの、たつがしら)を先頭に花篭が続きます。花篭には、色紙を細かく切って作った花びらと小銭(100円までの各種硬貨)が入れらて、くるっくるっと回すと、花びらと小銭が飛び散り、参列者は大人も子供も、一斉に拾い集めます。その後を、位牌・慰霊写真・遺骨をもった遺族が続きます。遺骨をもった喪主には、天蓋がかけられています。喪主は白装束に額に三角の布をつけ、女性の親族は白装束に晒しの頭巾を被ります。行列は、喪家宅の前庭を3回廻り、それから墓地に向かいます。僧侶は先頭で、鉦を打ち読経しながら歩いていたように記憶しています。提灯や旗があったかどうかは、覚えていません。墓地に到着すると、僧侶の読経のなか骨壷のまま遺骨を埋葬し、野辺送りが終わります。野辺送りの間に、香典等の会計の整理が、隣り組幹部によってなされます。
 喪家宅に戻ると、お清めの用意がされていて、隣り組のお手伝い組は親族とともに、酒食のもてなしを受けます。この食事の準備は、隣り組の手を離れ、農協店舗のAコープから弁当と惣菜をとって振舞われます。隣り組の女衆は、ここで初めて手伝いから解放され、酒食のふるまいに与ります。

 以上が、私の記憶する約10年前までの、このあたりの自宅葬のありようです。若干の記憶違いがあるかもしれませんが、概ねこんなところでした。そして、先日のホールを使った葬儀。墓地へいく野辺送りが無くなったので、竜頭・花篭・天蓋等は使わなくなり、また遺族は、白装束を着たり額の三角布を着けなくなりました。食事は、通夜と告別式のあと振舞われましたが、いずれもホールのなかの法要室で行われ、近くの料理屋から運ばれてきました。従って、隣り組の男衆も女衆も、受け付けと香典の計算を除けば、ほとんど手伝い仕事はなくなりました。そして、葬儀式そのものは、野辺送りがなくなったために、伝統的な習俗は、湯灌・納棺のときの葬儀社によって引き継がれている儀式を除けば、ほとんどなくなった感じです。僧侶による読経、弔辞の読み上げ、焼香等と、全国どこ行っても見られるステレオタイプ化した葬儀となっています。先日観た河瀬直美さんの『殯(もがり)の森』冒頭場面の野辺送りは、当地では、ホール葬への転換の中で消え去ろうとしているのです。
 自宅葬からホール葬への転換は、大変大きな社会変化だと思います。そして今後、さらに葬儀は変わっていき、家族だけの葬儀から葬儀そのものを行わない様式まで出てくると思います。これは、人と人の関係の変化の結果であると同時に、葬儀の変化が、更に人と人との関係を変えていくのだと、実感します。
 

 

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コメント

はじめまして。
ブログ拝見させていただきました。
私は大学で民俗学を専攻しており研究分野で葬儀を扱っています。
minomaさんのような当時の葬儀を覚えてらっしゃる方の記録は調査を行なう際に大変ありがたいものです。土葬から火葬、食事などの忌みの薄れ、隣組から葬儀社、エンバーミング技術など葬儀にも様々な変化が起こっていきますね。
葬儀の形式だけでなく当時の雰囲気を読み取れるような文章に思わず、ついコメントを書き込ませていただきました。
若輩の駄文失礼いたしました。

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