母94歳と同居へ、よーいドン !
お袋を我が家に迎え、1ヶ月余り経ちました。いっときの滞在の予定だったのが、どうやら長期(というより今後ずっと)となる模様です。こっちかあっちかと当初揺れ動いていた気持ちも、ここ数日は「ここにしょうかな」と固まってきたようです。我が家が、お袋の「終(つい)の棲家」として選ばれる栄誉に浴したようです。祝歓迎。
1913年(大2)12月19日生まれの丑年。ことしの誕生日で94歳になります。
「みんな私の歯」というのが、大の自慢です。だから、草加煎餅が大好きです。バリバリバリと大きな音を立てて、あの硬い煎餅を噛み砕いてしまいます。また、掛かりつけのお医者さんからは、どこも悪いところは無いですよ、と太鼓判を押されて、これがまた自慢の種。ただ、難聴です。右耳はまったく聴こえませんが、左耳に補聴器をつけて、日常のコミュニケーションを保っています。そして、腰が極端に曲がり脚も弱ってきているため、歩くことが難しくなりつつあります。が、本人は車椅子の世話にはならないと、あくまでも強気です。この気の強さと難聴が重なると、外出時、たとえばレストランなどの会話は、要注意です。人のうわさ話や身内話を、部屋中轟き渡る大声で話すものですから。
この勝気なお袋が、こちらへ来て20日くらい経った頃、涙を流してオイオイと泣きベッドで塞ぎ込んでしまいました。おむつのトラブルでした。お袋にとっては、使い捨ての紙おむつは「モッタイナイ」ものの代表です。そこで、おむつの中にパットとして新聞紙の切れ端を挿入して使っていたのです。気がついた家内から相談があり、不都合なことははっきり言った方がよい、ということで家内から「ダメ」を出し市販のパットを勧めてみました。お袋にとっては、ちょっとしたショックだったようです。自分への情けなさや嫁に世話になることへの遠慮やら、いろんなことが交じり合って感情が崩れたのかな、と思います。
夕飯時、お袋が家内に「よろしくお願いします」と頭を下げました。真剣な表情でした。そして私も、半分冗談半分本気で、家内に「どうぞ、お母ちゃんを、よろしくお願いします」と、深々と頭を下げました。「はいはい、わかりました」と家内。そして3人で大笑い。お袋の顔の表情が、いっきにほぐれました。このとき、「こちらで生きていこう」と決心したのではないか、と想像します。
母は、現在要介護度1の認定を受けています。最初は、要介護度2だったのですが、昨年4月からの介護保険制度の後退で、1ランク下となりました。更に要支援になる可能性もあります。彼女の受ける介護サービスは、主にデーサービスへの通いです。これが何よりの楽しみのようです。そして今日、当地へ来て初めてのデーサービスの日。朝早くから、箪笥のなかをごそごそさせながら、初日デビューのおしゃれ着を選んでいました。そして、いそいそと出掛けていったようです。夜、デーサービスの感想を聞きますと、余程楽しかったと見えて、大きな声でひとつひとつのできごとを、思い出しつつ笑いながら、語ってくれました。6人の通所者に対して4人のヘルパーさんがケアーしてくれたこと。自分が一番の年長者だったので、みんなが「お姉さん」と呼んでくれたこと。男性はひとりだけで、食事のとき以外はずっと寝ていたこと。大正4年と5年のひとがいたこと。車椅子は1人も使っていなかったこと。面倒を見てくれている娘や嫁の悪口を聞いたこと、等々。
お袋にとっても私達夫婦にとっても、新しい生活が始まったようです。
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