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2007年10月14日 (日)

マタギの世界へ

 熊谷達也著『邂逅の森』(04.1 文芸春秋刊、文春文庫)を読みました。東北ものの一冊として書店で手にいれ、仕事帰りの新幹線で読み始めたのですが、たちまちマタギの世界に引き込まれ、高崎駅に着いた後も駅待合室で読み続けることになりました。学生時代に読んだ柳田國男の『山の人生』で、都市や農村に住む人々のカテゴリーでは括り切れない人々の存在を初めて知り、軽いショックのようなものを感じたことを思い出しますが、『邂逅の森』との出会いは、そのとき以上の興奮をもたらしました。
 冬の峻険な山岳や森のなかを、熊やカモシカを追って勇躍するマタギたちの姿が鮮やかに描かれ、私たち読者は、雪深い東北の山中に誘(いざな)われます。マタギたちの山は、人と熊との関係のなかで、あくまでも神聖な山の神の支配する世界です。他方、人里に下りたマタギたちを待ち受けているのは、貧しい生活と愛欲と物欲が渦巻く人の支配する世界です。小説『邂逅の森』は、聖なる山と俗なる人里の二つの世界が織りなす、山の民の壮大な叙事詩です。

 1890年(明23)マタギの里に生まれた富治は、14歳の春、初マタギを体験します。そこで待っていたのは、雪の中を流れる凶暴な冷たさの沢水で、水垢離(みずごり)をとって身を清めるサンゾクダマリという手荒な儀式でした。また、富治が小マタギのころ、好色で醜女の山の神を宥(なだ)めるために、裸にされたうえ陰茎に燃えさしのついた麻紐をくくりつけられ、股間の下で燃えさしをぶら下げながら苦しみ悶えていると、車座になった一同が「オホホ」と女のような声色で笑って手を打つという、クライドリの儀式に直面しました。出猟前の数日は女に触れてはいけないし山入り中の女の話や色話は、タブーとされました。嫉妬深い山の神は、獲物を授けなかったり空を荒らしたり、時には雪崩を起こすことさえあるからです。マタギたちは、山の獲物は山の神からの授け物と、固く信じてるのです。
 秋田県の「能代において日本海に注ぐ米代川の支流、阿仁川は、源流を目指して遡っていくと・・・打当川(となり、これ)が幾つもの沢となって山々の懐に消えていくどん詰まりにあるのが、(富治の生まれ故郷のマタギの里)打当の集落」です。20数戸の小さな集落で、全戸がマタギだという。猫の額ほどの田畑しかなく山の恵みが、村を支えてきました。しかし、その山も猟師の数に対して猟場は不足し、その「根本的な問題(の解決のために)外の地域に獲物を求めて遠征するマタギたちが、自然発生的に生まれた(のが)旅マタギ」です。驚くのは、旅マタギたちの遠征先の遠さです。この小説では、山形県の月山の麓や新潟との県境にまで富治たちが遠征していますが、なかには長野の秋山郷あたりまで行っていたとのこと。鉄道のない時代は、勿論徒歩でしかも山越えをしながらの遠征であったはずです。山の民たちの日本列島を縦横に走り回る様が、眼に浮かびます。
 富治たち阿仁マタギの3名は、厳寒期の月山で穴グマ猟をします。十日もすれば、いつの間にか気付かぬうちに、体が山に順応する。そして、「自分の感覚が日毎に鋭くなっていくのがわかる。それまで聞こえなかった音が聞き取れ、視力も増して、何より獲物の気配に敏感になる。そうして少しずつ、人間が獣に近づいていくのかもしれない」。「羽黒修験の山伏さえも・・・近寄ることが叶わぬ拒絶の山(は、)マタギだけのもの」です。「山で生き抜く力がはるかに長けた獣をも、この時だけは、人間の意志が凌駕する。毛皮をもたず、生身のままでは一日たりとも生き延びられない存在だからこそ、裏を返せば為せる業。動物としての己の弱さを骨の髄まで知っているマタギたちが、唯一、獣の王者になれる瞬間でもある」。著者熊谷達也さんのマタギ賛歌です。
  時代は第一次世界大戦のころで、日本は戦争景気に沸いています。この影響は、マタギの里にも及んできます。熊やカモシカの皮の軍事需要による価格高騰です。マタギ以外の人間による密猟が激増し、熊やカモシカが乱獲されます。マタギたちは、短期的には収入を増やしますが、狩猟の対象物の枯渇を招きます。また、余所者によるくくり罠などによって傷付いた凶暴な熊も現われ、マタギたちの猟の感覚を狂わせます。著者は、熊やカモシカと格闘するマタギたちを追い、冬の雪山へと読者を誘っていき、人間と自然との間の壮絶だが親しみある関係を深い愛情をもって書き記しますが、この関係の中にも世界の動きが鋭利に反映していることを、見逃しません。
 小説『邂逅の森』のもうひとつの舞台は、秋田や山形の鉱山です。マタギの世界同様に、私にとっては見知らぬ世界の一つでした。詳細は書きませんが、刺激的な舞台ではあります。そして、マタギの世界と共通しているのは、非定着的な人々の群れです。マタギたちが、住は定着しつつも職において極めて広範囲な地域を移動していた人たちとすれば、鉱山に集まる人々は、職住ともに移動する人々といえます。こうした人々の邂逅を描いたのが、本書だといえるでしょう。富山の薬売りもそのひとりです。詐欺師で金貸しで嫌な男ですが、どこか憎めない男として、この小説では欠かせない脇役として登場しています。富山の薬売りこそ、もっとも典型的な移動型人間です。
 
 東北には、「もうひとつの国家」とか「もうひとつの民族」の可能性をイメージしますが、『邂逅の森』のマタギの世界との邂逅によって、新たな刺激を受けることが出来ました。おそらく、熊狩りにおける掟や禁忌、あるいは彼等の中にある信仰や神話には、北のアイヌの人たちとの共通点と相違点があると思います。日本列島の周縁部に、私たちのあまり知らない、しかし極めて魅力的な人々がいることを知り、ちょっとうれしくなる読書でした。

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