フェルメール『牛乳を注ぐ女』
左に折れて次の部屋に入りました。明かりを落とした広い部屋に、たった1枚の小さな絵が、スポットライトを浴びて壁に架かっていました。すでに多くの人が、声もなく静かにその絵に見入っています。「あっ、これだ!」と、昔の恋人に再会したような軽いときめきを覚え、その絵にゆっくりと近づいていきました。数年前、家内が旅行から持ち帰ったポスターを額に入れ、書斎の壁に架けて日に一度は眺めてきた絵です。丁度、レコードやCDで若い頃から聴き慣れた音楽を、初めてライブで聴いた時のような、軽い興奮を覚えました。(国立新美術館 フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展より)
フェルメール作品には、観る者に絵のなかの物語を想像させる喚起力が宿っています。描かれた人物や備品・道具が、これらを取り巻く光と音をともなつて静かに語りかけると、物語が始まります。トレイシー・シュヴァリエ著『真珠の耳飾りの少女』(白水社00年刊)は、同名のフェルメール作品に喚起されて創作された、フェルメールとその周辺の人々の物語です。そのなかに、『牛乳を注ぐ女』が登場します。
前屈みだったタンネケがボンネットを手に背筋を伸ばし、こう言った。「わたし、旦那様に絵を描いていただいたことがあるのよ。牛乳を注いでいるところを。みなあれが旦那様の一番よい絵だって言ってるわ」
「その絵、見たいは」すぐに応じた。「まだここにあるの?」
「いいえ、とんでもない。ファン・ライフェン様が買っていったわ」
しばらく頭をひねった。「それじゃデルフトでも一番のお金持ちが、毎日あんたの姿を眺めて楽しんでるってわけね」
タンネケの頬がほころぶ。あばたの残る顔が一段とふくらんだ。ことばでも壺にはまれば、たちまちタンネケの気分を変えてしまう。わたしがそのことばを見つけられるかどうかにすべてはかかっている。(トレイシー・シュヴァリエ著『真珠の耳飾りの少女』より)
「わたし」は、『真珠の耳飾りの少女』のモデルとなる若いお手伝い。「タンネケ」は、『牛乳を注ぐ女』のモデルとなった年長の女中。そして「旦那様」は、二人の雇い主のフェルメール。「ファン・ライフェン」は、フェルメールのパトロンで、成功した金持ちの商人。著者シュヴァリエは、17世紀のオランダ社会とフェルメールについての研究書を参考にしてこの小説を書いていますが、彼女の創作力を刺激しイマジネーションを育んだのは、フェルメールの作品そのものでした。フェルメール入門には、最適の書だといえます(この書を原作としたピーター・ウェーバー監督の同名映画もつくられており、9月末にNHKで放映されました)。
私の観たフェルメールは、次のとおりです。最も来日の多い画家の一人です。
①1999.1~ ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 『手紙を書く女』(1665頃) 東京都美術館
②2000.4~ フェルメールとその時代展 『聖プラクセディス』(1655)『リュートを調弦する女』(1664頃)『天秤を持つ女』(1664頃)『真珠の耳飾りの少女』(1665-66頃)『地理学者』(1668-69頃) 大阪市立美術館
③2004.4~ 栄光のオランダ・フランドル絵画展 『画家のアトリエ』(1666-67頃) 東京都美術館
④2005.6~ ドレスデン国立美術館展 『窓辺で手紙を読む女』(1657頃) 国立西洋美術館
⑤2007.9~ フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 『牛乳を注ぐ女』(1658-1660頃) 国立新美術館
以上9作品を観たことになります。すべて国内での鑑賞です。30数点しかない寡作の画家だっただけに、ひとつひとつの作品が、本当に愛おしくなるようです。
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