小説『サラム』―日本の中のアフガン
月刊誌「世界」10,11月号に掲載されたシリン・ネザマフィ著『サラム』は、第4回留学生文学賞の受賞作です。著者シリン・ネザマフィは、神戸大学で学んだイラン出身の女性留学生です。同賞紹介記事によれば、現在日本で学ぶ留学生は12万人近くになり、この作品は、応募の13カ国100作品の中から選ばれました。
物語は、アフガン難民の少女レイラの難民認定の運動が主なテーマとなりますが、その中で彼女の辿ってきた過酷な運命が語られ、今後彼女を待ち受けている絶望的な未来が暗示されます。レイラの他、難民認定に奔走する日本人弁護士田中先生とアルバイトで通訳を引き受けたイラン人留学生「私」が、主な登場人物。
レイラは、20歳近くの女性ですが、読み書きが出来ず、自分の正確な生年月日を言うこともできません。まだ10代のような子供っぽい顔つきをしているのに、肌はまるで働き詰めの中年女性の肌よりもひどい状態でした。父親はタリバンと対立する有名な司令官で、兄とともに戦争準備のためにアフガンとパキスタンの間を行き交っています。そして母親がタリバン兵によって殺されたため、日本にいるおじさんを頼って日本に来たのです。しかし、難民不認定のため入管に収容され、強制退去の危険が迫っています。
アフガン人の公用語ダリ語は、ペルシャ語の方言のようなもの。そこで、イラン人留学生の私に、通訳のアルバイトが舞い込んできました。イラン人の私にとって隣国アフガニスタンの知識は、難民としてテヘランの街に入り込んできた、モンゴル人の顔をし変な発音でペルシャ語を話す、主に力仕事をするアフガニーと呼ばれる人々のことでした。
田中先生は、何度も司法試験に落ち続け、やっと難関をクリアーした若い弁護士。アフガン人難民を支援するボランティア団体の人々とともに、難民認定の裁判に勝つために、労苦を惜しまず働いています。
入国60日以内に申請しないと難民として認められない、という「60日ルール」のため、来日後に母国に異変が発生した場合、ほとんど不認定となります。レイラはじめ何人ものアフガン人が60日ルールのため、入管に収容されました。
寡黙なレイラは、面会を重ねるにつれて徐々に重い口を開けだします。黒い布で顔を隠したタリバンの男達によって、母親が暴行を受け拉致された現場を、隣室の壁の穴から見ていたこと、そして母親が殺されたことを話すのでした。
日本で難民認定を受けることは、大変難しい。皮肉なことに、反タリバン勢力の司令官である父親の戦死が、難民認定に有利な状況としてレイラに突き付けられます。日本人支援者は、裁判に有利になると希望を抱きますが、レイラは父親の死を知らされ、激しく取り乱し精神状態に異常をきたします。
そして9.11。日本にいるアフガン人は、潜在的なテロリストとして取調べを受けます。一旦仮釈放されていたレイラは、再び収容され、強制送還の危機が迫ってきます・・・・・。
「世界」11月号は、小沢一郎稿『公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を』を掲載し、国会でのテロ特措法論議とさらに日本の国際貢献論議に、大変大きな問題提起をしました。小沢論文への賛否は、国会でも新聞紙上でも賑やかですが、多くの論者、とくに政治家の論議は、「合憲・違憲」の範疇に止まり、肝心のアフガンの平和構築にまで及んでいきません。ましてや現在のアフガニスタンの情勢と人々の暮らしの実態を踏まえた論議は、一部NGOの当事者の議論を除けば、ほとんどありません。やはりアフガンは、日本からはずっと遠い国なのです。止まれ。その遠い国のアフガンから、難民達が日本に救いを求めてやってきています。私たちの足元で、アフガン難民たちの慟哭する声が、聞こえてくるのではないでしょうか。私たち日本人はこの小説によって、国際化時代の日本の政治が解決しなければならない最重要課題のひとつである難民問題を、若いイラン人留学生によって鋭く突きつけられました。インド洋上での、アフガンの人々にとってはまったく意味のない無料給油活動などさっさと止めて、日本に救いを求めてきているアフガン難民の認定こそ、今すぐに出来る国際貢献ではないでしょうか。
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