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2007年11月 4日 (日)

カトリックの祈り

  日曜日のミサに預かるために、おふくろを案内して前橋カトリック教会へ行ってきました。母は、戦後まもなく京都で洗礼を受け、その後、司祭館でのコックの仕事や教会経営の病院でのボランティア活動などに積極的に参加していました。母の生活と人生にとってカトリック教会は欠くことのできない存在であり、生きがいと喜びのもとでした。90を超える高齢となり身体が不自由になるにつれ、ここ数年は教会から遠ざかっていたようです。昨夜、教会へいこうかと持ちかけたところ、即座に「いきたい」とのことで、今日出掛けました。

 私自身はここ40年ばかり、兄弟や友人の結婚式や葬式を除けば、ほとんど教会へ行くことはありませんでした。本当に久しぶりに、ミサに預かることになりました。
 ミサでの聖歌や祈りが、ラテン語から日本語に変わったのは、もう随分昔のことです。その日本語も、文語体から口語体にかわり、わかり易くなっています。ひざまずく習慣がなくなっていました。長椅子の下にあった、ひざまずくための台がありません。レースのショールを被った女性はたったひとりだけで、他の人たちは髪を出したままです。司祭が香炉を振ることもなく、聖杯を茶道で茶碗を拭き取るような仕草をすることもありません。今日のミサでは、説教もありませんでした。全体に、厳(おごそ)かさや荘重さよりも分かり易い簡明さが、前面に出ている印象を受けました。
 信者代表の幾人かが祭壇から、祈りの言葉を先唱しましたが、その一人の女性は外国人で、スペイン語での祈りでした。スペイン語を母語とする人たちが数人参加していました。京都では、在日コリアンの信者が多かったのですが、当地ではスペイン語や英語によるミサが行われており、在留外国人の信者の多さを物語っています。カトリック教会の日本人信者数は45万人ですが、外国籍の信者数は57万人を数え、日本人の信者数を上回っています。ペルーやブラジルなどの南米やフィリッピン、インドネシア、韓国などのアジアの国々から、労働者や難民として日本に来ているのです。
 ミサのあり様の変化に、少し戸惑いながらも、40年前のどことなくよそ行きの取り澄ました感じと比較して、インターナショナルでしかも暖かいものを感じました。
 ミサのあと助祭の方から、皆さんに少し話をしたい、との要請がありました。今日はミサの後、在留外国人(難民とニューカマーと呼ばれる1980年代以降日本に来て働いている人々)の健康診断をするとのこと。ほとんどの在留外国人は、健康保険に入っていないし、保険加入は経済的に不可能な状態に置かれている。ガンや結核に冒されている人もいるし、心臓病に罹っている人もいる。しかし、病院にも行かず、いわんや健康診断も全く受けていない。お金の問題だけではなく、入管当局の眼を恐れて、人前に出ることをしたがらない。すでに群馬県のカトリック教会では、11年間この活動をやってきているが、当初は100人以上の外国人がやってきたが、年々受診者が減ってきている。当局による強制送還や締め付けの厳格化などが背景にあるが、問題は全く解決された訳ではない・・・・・。
 カトリック教会の変化を、こんなにはっきりとしかも目の前で見たのは、初めてです。おふくろのお付き合いで気楽に来たのですが、神父や信者の皆さんが、当たり前のように難民や外国人労働者のために活動をされていることに、強く魅かれました。1970年代、南アメリカで大きな力を持っていた解放の神学は、労働や社会運動の中に祈りを見出していたことを思い出しますが、同じ思想が日本のカトリックに、いま息づいることを知りました。

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