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2007年11月10日 (土)

岩宿遺跡

P1000841  桐生市へ行く用事があり、かねて行ってみたいと思っていた岩宿遺跡へ寄ってみました。 岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町にある旧石器時代の遺跡で、在野の考古学研究者相沢忠洋氏によって1946年に発見され、49年明治大学の調査団による発掘によって、日本で初めて旧石器時代の存在が証明されました。遺跡には、日本の旧石器時代(2,3万年前)の生活を再現した岩宿博物館(写真)と、岩宿遺跡発見の現場を保存し観察しやすくした岩宿ドームの2つの施設がありました。

P1000820 岩宿ドームの入り口には、相沢忠洋(1926-1989) 氏の胸像がありました。日本列島に旧石器時代があったことを示す決定的な証拠となった黒曜石の尖頭石器を、じっと見つめています。
 相沢は戦後、桐生に住みつき納豆売りの行商をしながら赤城山麓の遺跡を踏査してまわりました。1946年、狭い切り通しの崖の断面に細石器らしきものを発見しました。これを切っ掛けに、本格的な旧石器文化の研究と遺跡踏査を始めます。そしてその時がやってきました。1949年7月、相沢23歳の夏。「山寺山にのぼる細い道の近くまで来て、赤土の断面に目を向けたとき、私はそこに見なれないものが、なかば突きささるような状態で見えているのに気がついた。近寄って指をふれてみた。指先で少し動かしてみた。ほんの少し赤土がくずれただけでそれはすぐ取れた。それを目の前で見たとき、私は危うく声をだすところだった。じつにみごとというほかない、黒曜石の槍先形をした石器ではないか。完全な形をもった石器なのであった。われとわが目を疑った。考える余裕さえなくただ呆然として見つめるばかりであった。・・・もう間違いない。赤城山麓の赤土(関東ローム層)のなかに、土器をいまだ知らず、石器だけを使って生活した祖先の生きた跡があったのだ。ここにそれが発見され、ここに最古の土器文化よりももっもっと古い時代の人類の歩んできた跡があったのだ」(相沢著『「岩宿」の発見-幻の旧石器を求めて』(講談社 69刊、現講談社文庫)。それまでの考古学会の常識は、関東ローム層が堆積した1-3万年は、火山活動が活発でこの地上には人類も動物も住むことができないとされ、研究は、関東ローム層の上層の黒土層を発掘・調査するにとどまっていたのです。
P1000847 岩宿博物館から北西方向に車で20分ほど、赤城山麓の雑木林の中に、相沢忠洋記念館がありました。相沢の終焉の地です。その質素な建物の入り口に、槍先形尖頭器の御影石による彫刻像のモニュメント(写真)がありました。そして記念館の内部に、この尖頭器の実物(7㎝×3㎝)が展示されていました。日本列島に旧石器時代があったことを証明したあの石器です。この時代を画した偉大な黒曜石が、いま目の前にあるのです。人気のない暗がりの部屋で相沢氏の言葉を反芻し、彼のひととなりを想像します。「“岩宿への道”は、孤独な少年の夢からはじまって、長い長い、ひたむきな祖先の団らんの姿をえがいての、あこがれの旅であった」。

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