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2007年12月22日 (土)

世界文学の最先端は?

 リービ英雄著『越境の声』(岩波書店 07.11刊)は、久々に読んだ大変刺激的な文学対談集でした。私にとってやや難解な論点は、繰り返し読むことで、どうにか理解できるようになりました。対談相手は、富岡幸一郎(文芸評論家)、沼野充義(文学者)、青木保(文化人類学者)の3人の批評家と、多和田葉子、水村美苗、莫言、大江健三郎の4人の小説家。アメリカ出身の現代日本文学作家である著者が、これらの「創作者や批評家たちとめぐり会い、彼らの声に耳を傾けることによって・・・現代の表現者は皆、異言語に身をさらしてきた」ことを発見します。ここに著者は、世界文学の最先端のありか、を見いだします。

 現代文学の二つのモデルが提示されます。
 モデル1。一つの共同体、一つの文化を一つの言葉のなかで書く。その共同体が、世界と歴史と外部に通じている。その共同体は、ローカルだけど普遍であり、世界が交差し、一つの世界のモデルが見えてくる。内なる越境。
 ex.ガルシア・マルケスのコロンビアの町、大江健三郎の四国の森、中上健次の被差別地区の路地、莫言の高密県。
 モデル2。二つ以上の共同体、言語を一人の作家が抱える。異文化や異言語に徹底的に身をさらした文学。遠心的に越境していく。
 ex.サルマン・ラシュディ(インドとイギリス)、Ⅴ.S.ナイポール(トリニダードとインドとイギリス)、水村美苗(日本とアメリカ)、多和田葉子(日本とドイツ)、リービ英雄(アメリカと日本)。
 著者は、自らをも位置づける二つ目のモデルに、「もう一つの流れ」=「世界文学の最先端」を見ようとしています。越境文学あるいは越境文学者として。そして、モデル1をも、「内なる越境」として捉え直し、越境文学のカテゴリーに包摂しているようです。
 万葉歌人山上憶良と遣唐使「井・真成」の話は、本書で最も刺激的で興味深いテーマの一つです。山上憶良は、万葉集の大歌人で筑前守などの重職を務めました。その憶良が朝鮮半島の百済出身だった、という学説に著者のイマジネーションが膨らみます。一方、西安で発見された遣唐使「井・真成」の墓誌には、この越境者が、唐の朝廷に仕え活躍し若くして客死したことが、記されていました。
 「遣唐使が向こうの宮廷人となり、大陸出身者がこちらの、島国のことばを創り出す歌人となった。島国から大陸へ、大陸から島国へ、人は動き、異言語に染まりながら、生きていた。単なる「文化交流」ではない。一人の人生において重層的な言語体験が展(ひら)いたに違いないだろう。」
 著者は、「世界文学の最先端」としての越境文学の先駆者を、1300年前の奈良時代に求めたのです。
 中上健次と安部公房が、重要な作家として取り上げられます。
 中上については、被差別地区の「路地」を書くことで、「近代からはずされた最も古い人間関係のなかにあった、前近代的な感覚の中にあ(って)世界性をもっ」た、と評します。また侵略者の子供、帝国の子供として満州に育った安部については、「(満州と日本の風景は完璧にズレていた)そのズレが彼を作家にした・・・日本の川のせせらぎや桜に対して、旧満州の皓々たる砂・・・若いときのそのズレの体験が決定的だった。日本に帰ってきたようでじつは帰ってこなかった人として・・・安部公房・・・を考えている」。
 在日韓国人作家も、越境文学の重要な担い手として、語られます。
 李良枝(イ・ヤンジ)。「被差別・排除のすさまじい歴史を背負った日本の「在日」の作家が、それだけではとらえきれないものとして言葉の問題に目覚めさせられた。故国の韓国に留学して、自分が言語構造として、あるいは精神構造としてどうしょうもなく日本語をもってるということに悲しい目覚めをした」。
 現代中国を代表する作家莫言(モーイェン)との対話。川端康成の生理的な感覚や感受性を取り込んだ風景描写に、強い影響を受けたという莫言について、著者は言います。「『赤い高粱』という、いわゆる抗日文学の中に、ときどき日本的と思われる精緻でリリカルなイメージの使い方があって、その矛盾がぼくにはすごくおもしろかった」。また「(莫言)が書いた中国の田舎そのものが、もう一つの世界性を帯びている。」
 多和田葉子さんや水村美苗さんとの対談も、エキサイティングな文学論が交わされ、息つく暇もありません。ともに、現在の日本を代表する越境文学者同士(同志)と自覚した対談です。彼女たちの作品も、是非読んでみたい。大江健三郎さんとの対談の最後に、「東アジア文学」の可能性について、言及されています。「西洋の近代文学とは違ったもう一つの近代文学の大きな可能性の空間として、東アジアという空間がとても必然的なものになってきている」と両者が、熱く語っています。

 先に紹介した池澤夏樹個人編集『世界文学全集』には、東アジアの作家・作品は、入っていません。私の当面の読書指針(文学作品編)のなかに、池澤『世界文学』に、リービ英雄・他『越境の声』作品群を追加したく思います。以下は個人メモとして。

 中上健次『千年の愉楽』・・・
 安部公房『終りし道の標に』『けものたちは故郷をめざす』『箱男』『砂の女』・・・
 多和田葉子『容疑者の夜行列車』『エクソフォニー』
 水村美苗『続明暗』『私小説』『本格小説』
 室井光広
 目取真俊

 莫言(モーイェン)『赤い高粱』『豊乳肥臀』
 哈金(ハシン)
 鄭義(チョンイー)
  シャマン・ラポガン

  黄皙暎(ファンソギョン)

  Ⅴ.Sナイポール『ある放浪者の半生』
 サルマン・ラシュディ  

 
 

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