呉清源 極みの棋譜
銀座和光うらのシネスイッチ銀座にかかっている田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督作品『呉清源 極みの棋譜』を観ました。100年に一人といわれた天才棋士の生涯を描いた作品です。囲碁を知らない私は、呉清源という名前も知りませんし、映画の核となる碁の話も、さっぱりわかりません。歴史的な対局場面や芸術的な美しい碁盤など、囲碁ファンにとってこの映画は、きっと珠玉の作品として映えるのではないでしょうか。でも、五目並べしか知らない私にも、この映画のかもしだす詩的な静けさと美しさは、十分に魅力的でした。そしてなによりも、日本と中国の関係について、いくつかの考えるヒントを与えてくれました。
呉清源は1928年、14歳のときに来日します。当時、碁のレベルは中国よりも日本のほうが高く、呉少年の才能を伸ばそうと日本の棋界が、呼び寄せました。才能を開花させた呉は、新布石を提唱したり名人との対局などで大活躍します。その反面、孤独感から精神的に追い詰められたり、結核に罹り入院を余儀なくされます。こうした時の西園寺公毅や川端康成との交流は、呉の精神的拠り所となりました。戦前の日本と中国の間には、このように碁を通した人と人の強く深いつながりがあったことを、この映画は教えてくれます。1936年日本へ帰化。全面的な日中戦争突入の前年のことです。
読売新聞主催の名人との対局。新聞社は日中対決として煽ります。監督はさりげなく、呉の後見人でもある日本人女流棋士に、新聞社を諌めさせます。日本や中国、あるいは日本人や中国人を超えた世界での、あくまでも囲碁の世界での人と人との対局(対決)である、とのメッセージを内包しています。
呉清源は、日中15年戦争という大変厳しい時代を背景に、祖国の敵日本で生きていくのですが、田監督は、主人公の囲碁の世界と精神世界(信仰心)を徹底して描きます。そこには、政治や国家は描かれません。碁を芸術とすれば、芸術至上主義といえるかもしれません。主人公呉清源が、芸術至上主義の人であったのと同時に、田壮壮監督が、現代中国の中で、やはり一種の芸術至上主義の人なのだと思います。日中戦争の時代を、こうしたスタンスで描く中国人監督が出現し、この作品に最優秀監督賞(上海国際映画祭)を授与した中国社会の変化(あるいは成熟)を、強く印象付けられました。
映画『呉清源 極みの棋譜』は、中国人監督による中国映画です。監督・撮影が中国人に担われ、そして製作資金が中国の資金で賄われたという意味で、純粋の中国映画です。しかし、多くの日本人が参加しています。主人公以外のほとんどのキャストは、日本人の俳優です。衣装デザインは、ワダエミが担っています。物価の高い日本での撮影は、高いコストになったようです。俳優やワダエミさんたちは、安いギャラと低予算で引き受けたとのこと。田監督が川本三郎さんとのインタビューで語っています。「日本人と中国人は、国と国になると政治がからんでくる。企業と企業になると金がからんでくる。でも、人と人の関係になると、とてもいい友情が生まれます」(「世界」07.12号)。戦前・戦中の呉清源の碁の世界も、現代の田壮壮の映画の世界も、日中の人と人の関係のなかで、美しい芸術作品になったのだと思います。
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囲碁ファンの一人である私もこの映画は見ました。概ねフクロウ氏の言う通りの映画ですが、人間関係が分かりにくい説明不足の映画であつたと思います。特に近代囲碁史に明るくないとなお分かりにくいでしょう。ちなみに「呉清源とその兄弟」桐山桂一:著(岩波書店)の本を読むと理解の助けになります。(でも、本を読まなくても分かるようにそれなりに描くのが映画というものですが。)
投稿: 船越一二 | 2007年12月12日 (水) 12時52分