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2007年12月 9日 (日)

オン・ザ・ロード

 池澤夏樹個人編集「世界文学全集・全24巻」の配本が、始まりました。編集者池澤は言います。「世界はこんなに広いし、人間の思いはこんなに遠くまで飛翔する。それを体験して欲しい」。20世紀後半の外国文学24巻36作品を集めた文学全集です。作品一覧表をみて読書好きを自認している自分が、すこし恥ずかしくなりました。私の読んだ本は、ミシェル・トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』の一冊だけでした。むしろ映画で観た作品が多い。ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』、ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、マルグリット・デュラス『愛人 ラマン』、エルサ・モランテ『アルトゥーロの島』などなど。いずれも、いまでは懐かしい映画作品ばかりです。
 ひとつ池澤さんの誘いにのって読んでみるか、と最初の配本ケルアック著『オン・ザ・ロード』(07.11刊)をアマゾンに申し込みました。作品は勿論、著者もはじめての人。そもそもアメリカ文学を、あまり読んでいません。

  この作品を紀行文学といっていいのかどうかわかりませんが、最初から最後まで、主人公たちが「移動」しつづける、その「移動」そのものがテーマとなったような小説です。青年作家サルは、広大なアメリカ大陸を、ニューヨークからサンフランシスコへ、そしてその逆方向を、三度往復します。一往復8,000マイル(12,875㎞)。四度目は縦に、コロラド州デンヴァーからメキシコ・シティに向かって1,900マイル(3,057km)。ある時はヒッチハイクで、ある時は長距離バスで、また稼ぎで買ったハドソンで、搬送請負のキャデラックで移動しつづけます。移動の同伴者は、ほとんどが「心の響きあう友だち」ディーンとですが、移動の都度、仲間が変わります。移動手段も同伴者の組み合わせも、自由気ままです。
 はじめの方のヒッチハイクの場面が好きです。時速70マイル(113km)で吹っ飛ばす気のいいミネソタの農夫の運転するトラックに乗せてもらいます。だれかれかまわず乗せている。ノースダコタの赤い野球帽の若い農夫は、収穫の仕事を探しまわっている。ひと夏、ヒッチハイクしてまわるというオハイオからきた高校のフットボール選手。貨物列車にタダ乗りして仕事を探しまわっているモンタナのホーボー。このホーボーという移動労働者は、その後も路上で(オン・ザ・ロード)、何度も出会います。互いに見知らぬみんなが、ウィスキーを飲み、おしゃべりし、車中から小便をした男がびしょぬれになったのを笑い転げ、元気出してはしゃぎます。このトラックの中には、1940年代後半のアメリカが詰まっているようです。
 ディーンとの移動は、ウンザリするほど凄まじい。饒舌と叫喚と哄笑、酒と女とマリファナ、ジャズとマンボとラテン。時速100マイル(160km)で運転している間、ディーンは絶えず躁の状態が続きます。ある時は、素っ裸で運転し、行き交うドライバーを驚かせます。また、ディーンの生活は、例えばこうです。子供のいるサンフランシスコの妻と離婚してニューヨークで結婚し、ニューヨークで子供ができたと思ったら、すぐにサンフランシスコへ戻って離婚した前妻と同居を始めます。パパとママとブラザーとシスターのいる、昔テレビドラマで見た、ハッピーでアットホームなアメリカンファミリーの姿は、まったくありません。
 自分たちの自動車で移動している時は、油代をかせぐために、ヒッチハイカーを乗せます。でも大抵のヒッチハイカーが貧乏人で、ろくに金を持っていませんが、そんなことお構いなしに乗せます。乗せたヒッチハイカーには、ミュージシャンや神学校の学生などがいます。いよいよ油が切れかかると、下り坂はエンジンをきったまま疾走します。ともかく、ハチャメチャな移動です。
 ウンザリしながらも、この小説には、次のような美しく印象的なシーンがありました。メキシコ・シティの手前のジャングルの町。車とその周りに野営していたときのことです。サルがひとり目を覚ましています。見回りの保安官が近づいてきました。
 「砂と草の上を進んでくる足音が聞こえた。立ち止まって車を照らした。ぼくは起きあがってそいつを見た。震えるような、どこか不満げな、しかしとてもやさしい声で「ドルミエンド?」と言って路上のディーンを指さした。「眠っている」という意味であるのはわかった。「ブエノ、ブエノ」ひとり言のように言うと、面倒くさそうに淋しそうに回れ右をして、ふたたび孤独な見回りに戻っていった。こんなすてきな警官を神はアメリカに造ってくださらなかった。疑いもしない、騒ぎもしない、邪魔もしない。眠っている町をただただ守る人。」
 サルは、ジャングルの空気を吸いながら、鉄のベッドでずっと起きていました。
 「藪の向こうのどこかでニワトリが夜明けを告げて鳴きはじめた。・・・空のどこにも夜明けの気配はなかった。とつぜん、闇の奥から犬の激しく吠える声が聞こえ、つづけて馬の蹄のぱかっぱかっという音がかすかにした。それはだんだん近づいてきた・・・野生馬が、幽霊のように白く、道を速足でまっすく゜ディーンのほうに駆けてくる。後ろを犬たちがぎゃんぎゃんとうるさく追いかけている・・・馬は雪のように白くて巨大で、まるでみずから発光しているみたいによく見えた・・・馬は、(ディーン)を見ると頭の脇を駆け抜け、車の横を船のように通りすぎ、やさしくいなないて、いっきに町を抜け、犬たちに付きまとわれながら、反対側のジャングルにぱかっぱかっと入っていき、あとはかすかな足音が森に消えていくのが聞こえるばかりになった・・・あの馬はなんだったのか? なにかの神話か幽霊か、なにかの精霊か?・・・」
 メキシコにはいっても、セニョリータを買いマンボを狂い踊りマリファナを吸い続けるのですが、しかし、アメリカにいるときとは違う何かを感じます。そのことが、白い巨大な馬となつて現われたように思います。サルは、ひとりハンドルを握りながら夢想に浸ります。
 「ここにいる連中は間違いなくインディオで・・・愚者ではない。道化ではない。偉大で落ち着いたインディオであり、人類の源であり、人類の父だ・・・大地はインディオのものだ。砂漠の岩のようにずしりと重く、「歴史」の砂漠のなかにいる。ぼくら、見かけ倒しで尊大な金袋を抱えたアメリカ人たちは面白半分にやっているが、かれらは全部承知している。誰が父親で、だれが地上の古代の命を受けつぐ息子なのか」。
 メキシコ・シティからの帰路、国境を越えたテキサスのディリー路上で、サルは不思議な経験をします。
 「彼方の暗闇から足音が聞こえてきて、なんと、見よ、袋を背負った背の高い老人が白髪をなびかせてどたどたとやってきて、すれちがいざまにこっちを見て、「ひとのために嘆くことをしに行け」といってまた暗闇のなかにどたどたと戻っていった。おまえはアメリカの暗い道(ロード)を徒歩で行く巡礼を最後はつづけなさい、という意味だったのか」。

 『オン・ザ・ロード』を読みながら、地名が出るたびに本書冒頭ページのアメリカ地図を見ました。こんなことは、USA大統領選挙のとき以外には、ほとんどありません。そうした意味では、この本は「紀行文学」の役割を果たしているのかもしれません。
 本書は、ケルアックが1947年から52年にかけての自らの体験を小説化し、57年に発表したものです。ことしは、発表50年になります。この小説を読んでいて、不思議の思ったのは、時代が第二次世界大戦の戦後にあたるのにかかわらず、戦争の影がまったくないことでした。ただひとつ、主人公サルが復員軍人給付金を与えられることを除いて。これはどういうことなのでしょうか。あれだけ多くの人物が、しかも労働者や農民、知識人たち多様な階層の人たちが、入れ替わり立ち代り登場するのに、戦争の話がない。親・兄弟・友人などの戦死や傷付いた話題もない。正義の戦争での勝利は、最早過ぎ去った過去のことなのでしょうか。

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