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2008年1月31日 (木)

「もはや」と「いずれ」

 以前青森に出張したとき、車で案内してくれた当地の若い社員が、目的地に着くすこし前に言いました。「もはや着きます」。「まもなく」じゃないかと訂正しますと、本人はキョトンとしていました。ただ広辞苑では、「もはや 最早=《副詞》いまとなっては。もう。すでに」とありますので、「もはや=もう 着きます」と収まらないわけではありません。
 同じ頃の岩手での体験。取引先の部長に新規商品の提案をしたところ「いずれやんなきゃなんねぇ」との返事。よくわからないので現地社員に確かめたところ、「是非やりたい」という意味だとのこと。6年経った現在、取引皆無なところから判断して、「いつとは言えないが、近い将来。そのうちに」(広辞苑)の意味だったことは明らか。

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2008年1月26日 (土)

『楽園への道』

51p7cwd6fhl_ss500_   「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。前者が、労働者と女性の連帯による人間の解放を、そして後者は、美の価値観の西洋から原始への転換を、追い求めました。二人は、祖母と孫の間柄でした。
 ペルーは、フローラを扇動者へ変え、ポールに「楽園」の原型をイメージさせ、そして作家バルガス・リョサを育みました。三者の共有世界は、他ならぬラテン・アメリカのペルーでした。

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2008年1月25日 (金)

西暦がたどった道

  昨晩たまたま、新聞の番組欄でNHK教育『西暦がたどった道』という番組を見つけ、早速見てみました。年明けのブログで「あなたは西暦派それとも年号派」なんて記事を書いていたので、「西暦」が目に留まりました。番組を見て、自分の無知ぶりをあらためて知りました。(「知るを楽しむ-歴史に好奇心」 古今東西カレンダー物語 08.1.24放送)
 先に引用していた犬養道子さんの文章のうち「毎月の名(ローマ暦上の名をグレゴリアは変更しなかった!)」の部分をほとんど考えることなく引用し、その意味を必ずしも理解していませんでした。

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2008年1月19日 (土)

医療崩壊

  昨晩TBSのNews23で、「救急医療現場の悲鳴」と題した特集が、放映されました。大阪守口市にある関西医科大学付属病院高度救命救急センターの、一人の医師の一日を追った10分たらずの特集です。
 救急救命センターは、重症の救急患者の命を救う「最後の砦」ともいうべき施設。一人の若い医師の、午前9時から翌日同時刻まで24時間の、二人態勢による当直勤務が始まりました。最初に飛び込んできたのが、階段から落ちて手首を骨折した患者。ここへ来るまでに、21ヶ所の病院で断わられました。命には別状のない患者でした。
 12月25日、89歳の救急患者が、30ヶ所の医療施設から断わられ死亡しました。1月2日、交通事故の被害者が、5ヵ所で断わられ死亡するという事件がありました。この被害者は、この救急センターにも連絡があり、他の救急患者の治療中のため断わったといいます。遅い昼食に、出前の冷たく伸びたうどんを食べる医師たち。何故多くの病院が、救急患者の受け入れを断わるのか。同救急センターの医師は、受け入れを断わる病院は、専門医がいないことを理由とすること、そして医療過誤による裁判を恐れること、と指摘します。このため、同救命救急センターはパンク寸前の状態にある、といいます。
 早朝5時、首をつった患者が運び込まれます。交代時刻の9時。次の当直医に申し送り中に、灯油をかぶった火傷の救急患者が運び込まれ、と同時に、老人ホームで倒れ心肺停止状態の女性が到着します。2人の患者の治療中に3人目の救急患者受け入れの要請があり、断わらざるを得ない状況に。若い医者はいいます。「拒否とかいわれると辛いんです!」。前日の9時から当直していた医師は午後4時、帰宅の途につきました。31時間に及ぶ勤務でした。
 

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2008年1月14日 (月)

高崎観音山丘陵の散策

P1050707  早朝7時、村恒例のどんと焼きがあり、おふくろを車に乗せて見物。今年は生まれて初めて繭玉をつくって焼き、家族三人で食べました。今年1年の無病息災を祈願、「これでまた長生きや」とおふくろ。
 午前中、染色植物園の駐車場に車をおいて、同植物園・ひびきばし(大つり橋)・白衣大観音・野鳥の森のコースで、観音山丘陵を2時間半ほど散策をしました。白衣観音の足下で、はやくも紅梅が咲いていました。

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2008年1月12日 (土)

あなたは西暦派それとも年号派

 年末、取引先のカレンダーをみて、びっくりしました。「昭和83年カレンダー」。なんじゃこれっ?たわいもない冗談のつもりでしょうが、私用に使うのならともかく、これを広く配るというからあきれました。「これ、大丈夫ですか?」と担当の方にやんわり申し上げたのですが、ご本人たちはこのジョークに満更でもない様子。何もなければいいのですが、とつい老婆心が働きます。年明け、配布先からの反応を聞いてみますと、「結構受けてますよ」とのこと。ここには、西暦・年号(元号)論議の緊張感はなく、暦が人類共通の、年号の場合は日本人共通の尺度であることの意味も、失われています。

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2008年1月 6日 (日)

沖縄戦と「集団自決」

 この正月休みは、孫たちと遊ぶ合間をみて、「世界」臨時増刊号『沖縄戦と「集団自決」 何が起きたか、何を伝えるか』(岩波書店08.1.1刊)を読みました。この増刊号発刊の経緯は、次のとおりです。
 昨年の3月30日、文部科学省は、08年度から使用される高校歴史教科書の検定結果を公表し、沖縄戦の「集団自決」の記述について、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させました。これにたいして、沖縄戦を体験した県民の怒りは激しく、検定撤回を求める声が県内を被い尽くし、ついには沖縄県内41のすべての市町村議会と県議会において、検定の撤回と記述の回復を求める意見書が採択されました。さらに、9月29日に開かれた「教科書検定撤回を求める県民大会」には116,000人もの人びとが参加し、空前の規模の集会となりました。沖縄の人びとの日本政府に対する怒りの大きさと歴史の真実を求める熱い思いとが、この大集会に結集したのです。
 この増刊号は、こうした県民大会での沖縄の人たちの熱い思いを、一人でも多くの日本社会の人びとに伝えるために編集・発刊されたものだと思います。是非読んでいただきたい。(ただ年末、丸の内の丸善にいったら、在庫はありませんでした。アマゾンにもありません。近くの書店での取り寄せをおすすめします。)

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2008年1月 5日 (土)

ドキュメンタリー映画『カルラのリスト』

Photo ボスニア戦争末期の1995年7月11日、セルビア人勢力がモスレム人男性約8000人を殺害しました(スレブレニツァの虐殺)。残された女性たちは、集団レイプされ、強制収容所で出産を余儀されます。先に紹介した映画『サラエボの花』は、こうした被害者女性を描いたものでした。既に93年には、旧ユーゴスラビア内戦における集団虐殺や人道に対する犯罪など戦争犯罪を裁く国際法廷として、旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)がオランダ・ハーグに設立されていました。99年8月、スイスの司法長官であったカルラ・デル・ポンテは、ICTY検事に任命され戦争犯罪者たちを調査、追及、そして起訴していきます。最大の責任者ミロシェヴィッチ元大統領の逮捕には成功するものの、スレブレニツァの虐殺を引き起こしたムラジッチや大物カラジッチは、セルビア国内に逃亡したまま逮捕することができません。ドキュメンタリー映画『カルラのリスト』は、ICTY検事のカルラと彼女の少数のスタッフとが、ムラジッチやカラジッチなどの戦争犯罪者たちの所在を調査し、追及する姿を描いたものです。

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2008年1月 1日 (火)

早朝の里山

P1010102  6時に起床し、家内とともに犬2頭を連れて、近くの山を歩きました。田畑は、うっすらと霜を被って白色にしずまり、東の空は、ぼんやりと茜色に染まっています。歩き始めて20,30分たったころ、太陽が悠然とその姿を現わしました。そのとき丁度、太陽の真上高くを、8羽の渡り鳥が、西に向かって飛んでいきました。

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