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2008年1月 6日 (日)

沖縄戦と「集団自決」

 この正月休みは、孫たちと遊ぶ合間をみて、「世界」臨時増刊号『沖縄戦と「集団自決」 何が起きたか、何を伝えるか』(岩波書店08.1.1刊)を読みました。この増刊号発刊の経緯は、次のとおりです。
 昨年の3月30日、文部科学省は、08年度から使用される高校歴史教科書の検定結果を公表し、沖縄戦の「集団自決」の記述について、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させました。これにたいして、沖縄戦を体験した県民の怒りは激しく、検定撤回を求める声が県内を被い尽くし、ついには沖縄県内41のすべての市町村議会と県議会において、検定の撤回と記述の回復を求める意見書が採択されました。さらに、9月29日に開かれた「教科書検定撤回を求める県民大会」には116,000人もの人びとが参加し、空前の規模の集会となりました。沖縄の人びとの日本政府に対する怒りの大きさと歴史の真実を求める熱い思いとが、この大集会に結集したのです。
 この増刊号は、こうした県民大会での沖縄の人たちの熱い思いを、一人でも多くの日本社会の人びとに伝えるために編集・発刊されたものだと思います。是非読んでいただきたい。(ただ年末、丸の内の丸善にいったら、在庫はありませんでした。アマゾンにもありません。近くの書店での取り寄せをおすすめします。)

 昨年末日本政府は、沖縄県民の教科書検定撤回を求める願いを踏みにじり、「日本軍の強制・命令」の記述復活を拒否しました。このことを論じた日本最大のメディア読売新聞の社説(12/27)は、主催者発表の「参加者11万人」が虚偽であり、実数の5倍以上であるかのごとく伝え、政府が最終的には認めた日本軍の「関与」についてすら批判し、「政府は、教科書検定に対する政治介入の愚を二度と繰り返してはならない」と主張しました。南京大虐殺について、中国人研究者たちの主張する被害者数を虚偽だとし、人数を少なくすることによって「大虐殺」がなかったと主張するのと、まったく同じ論理です。また、政治介入したのは、時の安部政権そのものだったのです。
 増刊号には、県民大会参加者の感想が、多く掲載されています。それらに共通して指摘されているのは、かって経験のないほどの大会参加者の人数の多さや会場の熱気とともに、整然と広場を埋めた人々の静けさについてです。仲里効(文化批判)さんは、「通い合う沈黙」として次のように書いています。「広場のほぼ真ん中にいて感じたことは、これほどの人が集まったというのに、異様なほど抑制された静寂があったことです。この静けさはこの種の集会の常識を越えていた。・・・整然と広場を埋め、壇上の発言者の声に耳を傾けている。広場が巨大な耳になった、と思った」。沖縄の人びとの歴史の真実を求める運動が、多くの人びとに大きく広がっているとともに、一人ひとりの個人の胸のうちに深く浸透していることを、痛感します。また、沖縄の人びとのモラルの高さとその在りようを、非常に強く印象づけられます。
 07年3月末の教科書検定をきっかけに、これまで沈黙を守ってきた「集団自決」の体験者が、語り始めました。謝花直美(沖縄タイムス編集委員)さんが、この貴重な証言を書き記しています。そして、「秘められた事実は、教科書検定までつらなる一連の「『集団自決』に軍命はなかった」とする歴史修正主義者たちの主張を大きく突き崩すもの」でした。また國森康弘(ジャーナリスト)さんは、元日本兵の立場から見た「集団自決」の証言を報告しています。復員者100名余りに連絡をとり、半数の人の死去と30人以上の不明者があるなかで、しかも接触できたひとの三割のひとは、証言を承諾されませんでした。文中には14人の元日本兵のひとたちの証言が、実名と写真入りとで掲載されています。苦渋に満ちた告白によって、沖縄戦の知られざる多くのことが、明らかにされました。元日本兵たちが、慙愧の思いを抱いたまま戦後60数年を過ごしてきたこと、そして勇気をもってこのたびの証言に応じたことに、沖縄の人たちの許しと和解の声が、聞こえてきそうです。
 「アジアは沖縄の怒りをどう見たか」という章では、韓国・台湾・中国・マレーシアの作家やジャーナリスト等が、沖縄の人たちへの熱い連帯の気持ちを伝えています。「歴史改ざんは日本の国技か」と怒る陸培春(マレーシア・ジャーナリスト)さんは、「がんばれ ! 沖縄人」と沖縄の人びとを励ましています。
 50人弱の執筆者の中に、「牛島貞満」という名前を、本書の一番最後のほうで見つけることが出来ます。「1953年生まれ。小学校教員。祖父は32軍司令官だった牛島満中将」と紹介されています。牛島さんが、94年の教組主催の沖縄平和学習ツアーに参加した時、ガイドの方から「牛島満司令官と似た名前の方がいますね」といわれ、ついに見つけられたと思います。牛島満司令官は、住民を壕からの追い出し、スパイ容疑で虐殺し、集団死などに追い込む原因となったの二つの命令を下し自決した張本人です。そして、ガイドから「自分でお祖父さんのことを調べることが大切です」といわれ、牛島さんはそれ以来、「沖縄とかかわりつづけ、現在、沖縄の小学校と東京の自分の職場の小学校で、「牛島満と沖縄戦」という特別授業」を行ってきています。慶良間列島の「集団自決」を強制した日本軍の元守備隊長の遺族ともうひとりの元守備隊長本人とが現在、岩波書店と大江健三郎さんを相手どり、大阪地裁に『沖縄ノート』の出版差し止めと損害賠償を求めていますが、沖縄戦に関わった二人の遺族の、現在の生き方のあまりもの違いに、言葉を失います。また以前NHKで放映された、アウシュヴィッツの加害者の子供が、自分の親の犯罪と向き合うという、ドイツのドキュメンタリー番組を思い出します。親たちの世代の犯した許されざる罪に対して、私たちはどう向き合ったらいいのか、同世代の牛島先生は、ひとつの方向を指し示してくれているようです。
 あらためて訴えます。是非この書を読んでください。

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