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2008年1月31日 (木)

「もはや」と「いずれ」

 以前青森に出張したとき、車で案内してくれた当地の若い社員が、目的地に着くすこし前に言いました。「もはや着きます」。「まもなく」じゃないかと訂正しますと、本人はキョトンとしていました。ただ広辞苑では、「もはや 最早=《副詞》いまとなっては。もう。すでに」とありますので、「もはや=もう 着きます」と収まらないわけではありません。
 同じ頃の岩手での体験。取引先の部長に新規商品の提案をしたところ「いずれやんなきゃなんねぇ」との返事。よくわからないので現地社員に確かめたところ、「是非やりたい」という意味だとのこと。6年経った現在、取引皆無なところから判断して、「いつとは言えないが、近い将来。そのうちに」(広辞苑)の意味だったことは明らか。

 「もはや」には読書での思い出があります。還暦記念に、何人かの好きな作家の還暦時の作品を読みましたが、そのひとつが島崎藤村『夜明け前』。明治維新前後の風雲急を告げる時代、木曽路の庄屋青山半蔵の半生を描いた歴史小説です。この『夜明け前』に「もはや」がよく出てきます。
 「最早、暖かい雨がやってくる」「七日目には最早この街道に初雪を見た」「最早退役の日の近いことを知っていた」「時局の中心は最早江戸を去って京都に移りつつあった」「最早、論議の時は過ぎて、行動の時がそれに代っていた」といった具合です。ペルー来航から大政奉還を経て明治中期までの、まさに大激動の時代です。半蔵は来る日も来る日も、「もはや・もはや」とせきたてられていたのだなあ、と思っていましたが、ためしに『新生』のページをパラパラとめくったところ、ああここにも「もはや」が結構ある、と見つけました。もしかしたら藤村先生の口癖かな、と思い返しました。その記憶が頭の片隅に残っていたときに、冒頭の「もはや着きます」の言葉にぶつかったのです。この社員は長野県出身です。藤村もご存知木曽谷のひと。もしかすると「もはや」は長野県民の方言か口癖かなと思い、長野の知人に確かめたところ、言われてみればまま使う、との回答。はたしてどうか。
 「いずれ」は、岩手や秋田のひとと話していると、よく出てきます。ほとんどが「時」にかかわる副詞として使われていますが、ときには「まあ」とか「う~ん」とか、ほとんど意味をなさない使われ方もあるようです。無意識に発する口癖のようなものです。そして仕事の時に気を付けなければならないのが、原意の「時間」の副詞として使われるときです。そして大抵が、①やんなきゃと思っているが、やるとは決意できない、②本当はしたくないので、あいまいに言って、その場を取り繕う、といったところが真意でしょう。
 堀田善衛のスペイン滞在記に、スペイン語の「アスタ・マニャーナ」が、明日は明日の風が吹く、といったスペイン人気質を表す言葉として紹介されていたのを思い出します。年末に読んだケルアックの『オン・ザ・ロード』にも、酒飲みのメキシコ人労働者が「そんなこたあマニャーナにして酒呑もうや」なんて感じの場面がありました。「いずれ」は、まさに「アスタ・マニャーナ」なんですね。
 長野=もはや、北東北=いずれ、と断定していいのか否か自信はありませんが、勤め先の社員を見ている限りでは、長野の社員は「もはや・・・」といつも追い立てられているようですし、岩手や秋田は「いずれ・・・」とのんびりして動じるところがありません。さて世間一般では、どうなのでしょうか?

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