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2008年1月12日 (土)

あなたは西暦派それとも年号派

 年末、取引先のカレンダーをみて、びっくりしました。「昭和83年カレンダー」。なんじゃこれっ?たわいもない冗談のつもりでしょうが、私用に使うのならともかく、これを広く配るというからあきれました。「これ、大丈夫ですか?」と担当の方にやんわり申し上げたのですが、ご本人たちはこのジョークに満更でもない様子。何もなければいいのですが、とつい老婆心が働きます。年明け、配布先からの反応を聞いてみますと、「結構受けてますよ」とのこと。ここには、西暦・年号(元号)論議の緊張感はなく、暦が人類共通の、年号の場合は日本人共通の尺度であることの意味も、失われています。

 七日正月もあけ年賀状の整理をしていて、年次表記に西暦と年号とが入り混じっていることに気付きました。今更のようですが、年末の「昭和83年」が頭のなかに残っていて、少し気になったのだと思います。そこで、西暦・年号の枚数を数えてみました。年号65%、西暦20%、無表記15%。年号表記が、圧倒的に多い。ちなみに、幾人かについて昨年の年賀状を見返してみると、西暦・年号の使い方は、全員今年と同一でした。西暦派と年号派があるようです。
 私は、ほとんどの場合、西暦を使っています。役所の書類は、全て年号になっていますが、提出書類は可能な限り西暦に書き直します。仕事もすべて西暦。もちろん年賀状も「2008年 元旦」と書きます。最大の理由は、西暦のほうが便利だからです。昭和から平成に変わり、何となく落ち着かなさを感じていたのも、西暦全面使用の理由かもしれません。また、歴史の本を読む時は、年号表記の場合は西暦に読み直す手間が、面倒で仕方ありません。しかも、明治維新以前ですと陰暦と重なり、「さていつの事なのか」と時の迷子になってしまいます。
 ついでに触れておきますと、明治新政府が陰暦から太陽暦(グレゴリア暦)に切り替えたときのエピソードが、すこぶる面白い。1873年(明治6年)1月1日から太陽暦に改められました。その前日は、1872年(明治5年)旧暦12月2日。改暦の布告は、同年旧暦11月9日ですから、翌月に実施されたわけです。この年の急な実施の理由が、「明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだった」とのこと(ウイキペディア「旧暦」から)。陰暦から陽暦への改暦という歴史的大事業が、結構安易になされた、逆にいうと容易に出来た、ということです。年号とはとりあえず別問題ですが、「暦」についての日本社会の軽さを物語るエピソードではあります。

 年号・西暦論争ではかつて、犬養道子さんが、痛烈な年号批判をしていたことを思い出します。犬養さんは、「お生まれは大正10年ですね」とたずねられると、「いいえ、西暦1921年です」と答えるそうです。他人は、クリスチャンだから、ヨーロッパ滞在が長いからといいますが、犬養さんの「西暦採用」の理由は、別のところにあります。犬養さんはカトリック信者で、40年近く滞欧していますが。以下、犬養道子さんのエッセーから引用します。

 「西暦には、こう見て来ると国境もなく民族差もない。1万年近い月日をかけて、あちらでもこちらでも、さまざまな土地独特の服をつけた人々が、天を仰いで星や月や太陽を眺め、足もとにも眼を向けて土や水や動物や植物をみつめ、びっくりしたり、よろこんだり、指さしたり考え込んだりの、一大ロマンとドラマを背負うのが西暦。
 学問が動員され、知者があつめられ、民衆の生活が考慮され、日々不可欠のものでありつつ公共普遍性と正確さとをあわせ持つ西暦。同時に、支配者たちにとっての政治的手段にもいつも使われつづけた暦。天皇の代ごとに、ちっぽけな島の中でだけ通用する年号とは、スケールにおいて内容において比較にならない。
 「お生まれはいつです?」「大正10年?」
 「いいえ1921年」。
 答えるときいつも、私はたのしくなる。1万年の人類の歩みがいとおしくなる。暦作成の上で不可欠だった数字をはじめてつくったインド南方の人々。それを西方に伝えたアラビア半島の人々。
 毎月の名(ローマ暦上の名をグレゴリアは変更しなかった!)を記すに必要なアルファベットをつくり出したフェニキア・ギリシャ・ローマの人々。どんな服を着ていたのかな。
 国境線は西暦には存在しない。西暦とはわれら地球人のものなのだ。」(犬養道子稿『天地を見る人 年号と西暦』(岩波「世界」 04.5号)から)
 
 歯切れのいい犬養道子さんの西暦論です。西暦常用者にとっては、胸のすくような文章です。さて皆さんは、西暦派それとも年号派?。

 

 

 

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