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2008年2月17日 (日)

崇礼門(南大門)の焼失

  今月10日、韓国の国宝第1号の崇礼門(南大門)が、放火され焼失しました。ソウルからのテレビ報道は、多くの市民が、焼けた崇礼門を見つめながら泣き崩れる姿を映し、人々の悲しみと憤りを伝えています。それから1週間、韓国の新聞は連日、放火犯のことと同時に、文化財の保護問題や崇礼門の再建計画について、取り上げています。そのひとつハンギョレ新聞(英字版)社説が、1922年、日本の植民地政府によって壊されかけた光化門が、日本の民俗学者柳宗悦によって救われたことを、紹介しています(ウニさんのブログ『壊れる前に・・・』2/16より)。そしてウニさんは「侵略者側の体制内知識人ゆえの限界はあっただろうと思うが、植民地だった側の人たちが柳の言葉を「胸を突く叫び」として、自分たちの文化のためにあげられた声として、優しく記憶していることには、いろいろと考えさせられる」と感想を記しています。

 柳宗悦のことについて、ウィキペディアから引用します。
①1919/3/1 朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する日本政府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判。
②朝鮮美術に注目、省みられることのなかった朝鮮の陶磁器や古美術を収集。
③ソウルにおいて道路拡張のため李朝朝鮮時代の旧王宮である景福宮の光化門が取壊されそうになると、これに反対する評論「失はれんとする一朝鮮建築のために」を雑誌『改造』に寄稿。これが大きな反響を呼び、光化門は移築、保存された。
 ハンギョレ新聞社説が取り上げた事件は、③のことです。
 かつての侵略する側に属した知識人の「業績」を、被害者であった側のジャーナリストが、最も大切な国宝のひとつを失って悲しむ韓国の人々に紹介したことの意味は、大変大きく深いものがあると思います。昨年の大佛次郎論壇賞を受賞した朴裕河(パク・ユハ)さんの著作にも通じる、韓国知識人からの日本社会への和解のためのメッセージと読めます。
 朝鮮日報東京特派員は、日本人専門家による崇礼門(南大門)再建の課題提起を報じています。戦後間もなく日本社会が経験した、法隆寺金堂と金閣寺舎利殿の火災による焼失と再建の教訓を踏まえ、「テレビ映像で見る限り、残がいには文化財としての価値が十分残っていると思う。崇礼門は決して金閣寺のような状況ではない。ずっと状態がいい。まず、崇礼門は柱が生きているようだ。1階部分の部材もかなり生きている。炭のように見えても、内部の木材が生きていれば修復できる。残った部材を修理して使えば、日本の基準では国宝指定の維持が可能だ」そして「焦ってはならない。燃え残った木材を徹底的に調査し、生かせる木材はできるだけ生かし、以前の姿に最大限近づけるよう修復するのが大切だ」(奈良文化財研究所 窪寺茂氏談)とアドバイスしています。
 現地での詳細な調査・研究が待たれることは当然ですが、隣国日本の専門家によるアドバイスは、崇礼門再建の道筋を指し示し、韓国の人々を勇気づけ励ますものだと思います。法隆寺金堂再建の貴重な経験が、日韓両国の専門家同士の共同作業によって生かされ、崇礼門が再び国宝として蘇ることを、こころから祈願します。

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