ドキュメンタリー映画『ジプシー・キャラバン』
週末の夜、渋谷シネ・アミューズでジャスミン・デラル監督作品『ジプシー・キャラバン』を観ました。スペイン・ルーマニア・マケドニア・インドの4ヶ国から5バンドが参加し、6週間かけてアメリカ大陸を東海岸から西海岸まで横断した「ジプシー・キャラバン・ツアー」の、素晴らしくエキサイティングなドキュメンタリー映画です。
仕事後の夜の映画館は、時として眠気をこらえてのひと時となるのですが、昨晩は2時間近くの間、画面に釘付けになり、世界各地のロマ(ジプシーの自称)たちの音楽とその生きかたに興奮しっぱなしでした。音楽を聴いてこんなにも幸せな気持ちになったのは、稀なことです。
マケドニアからきた「ジプシー・クィーン」と呼ばれるエスマは、いつもキャラバンの中にあってに華やかな存在です。彼女は、プロデューサーからの英語で歌うことの要請を決然と拒否し、「いままでもロマ語で歌ってきたし、これからもそうだ」ときっぱりと言い放ちます。映画では、彼女のヴォーカルに歌詞の字幕の入るときとそうでないときがありましたが、いずれもロマの悲しみや喜びを歌っているのが、胸の奥深くに伝わってくるようでした。エスマが、ロマの孤児を自宅に引き取ってミュージシャンに育てたり、コソボからのロマの難民の支援をしているシーンが挿入されます。
エスマがロマ語で歌い生活しているのに対し、スペイン南部アンダルシアから参加したアントニア・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブルのメンバーは、スペイン語を母語とし、ロマ語は話せません。女性ヴォーカリストのうたうカンテは、必死になって感情を押し殺しながらも、魂の奥深くから押し出されてくるようで、しゃがれた声の絶唱には、圧倒されました。夫と息子がドラッグに走り絶望的な日々をおくったことが、語られます。このカンテを聴いていて思わず寒気がし鳥肌が立ちました。丁度そのとき、字幕が流れました。「ドゥエンデは感情を引き出す魔性の力のこと。どんな音楽でも、聴いて寒気がしたり、笑ったり泣いたりしたくなったら、それがドゥエンデ」。スペイン語辞典には、{duende:(フラメンコの歌・踊りなどの)不思議な魅力、魔力、妖しい力}とあります。まさに、フラメンコのドゥエンデを体感したのです。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスは、ルーマニアのロマ・ミュージシャンの村から来ました。バンド・メンバーの長老ニコラエ・ネアクシュがいい。ほとんどの歯が抜けフガフガした口許をほころばせながら、糸でヴァイオリンを弾く姿は、チャーミングです。音楽はこんな年寄りにも収入をもたらしてくれ今でも大家族を養っているのだ、とニコラエは自慢げに語ります。アメリカ・キャラバンの一年後に、ニコラエは亡くなりますが、カメラは村の葬儀の様子を映し出します。家の中では家族たちが棺を囲んで彼の死を悲しんでいます。また窓の外では焚き火が燃やされ、多くの友人たちがニコラエ爺さんの死を悼んでいます。そしてひとり男が、厳しい顔つきでヴァイオリンを奏でています。ああ、ロマの楽師たちは、こんな風に葬儀や結婚式などに呼ばれて演奏をしているのだなあと、あらためて認識しました。
ルーマニアからのもうひとつの参加者は、ファンファーレ・チョクルリーア。12人編成の超高速ブラスバンドは、元気一杯。彼等の収入で村の経営が成り立っているとか。他のバンドもそうですが、とりわけこのバンドの金管楽器は、質素です。演奏会直前のリハーサルの場で、音合わせのために金管の管を金鋸で切ります。そして金管が鳴り響くや、フラメンコのときの寒気は吹き飛び、体が熱くなってきました。ラッパを吹き鳴らす12人は皆、心の底から楽しんでいます。カメラは、演奏会シーンの合間に、彼等の出身の村を捉えます。子供たちがラッパを吹き鳴らしています。ロマの音楽は、どこまでも生活そのものです。
ロマの起源地といわれるインド北西部から、砂漠民バンドのマハラジャが参加しています。遅れた花嫁の代りに花婿の友人が女装して花嫁となって舞い踊る、という想定の音楽と踊り。膝を折り、低い姿勢で猛スピードでくるくる廻る踊りをできるのは、世界に二人だけといいます。この青年は、生活費を稼ぐためにこの世界に入り、現在の地位を得ました。妖艶な姿で舞いながら、エクスタシーの境地に入っていくようです。マハラジャは、ヨーロッパのロマの人たちからは、最も遠いところにあり、音楽と踊りの世界でも、その異質さが際立っていました。しかし、すでにキャラバンが最終地のカリフォルニアに到着し、最後の公演で各バンドが競演する場面があります。インドの音楽でフラメンコが踊られ、ルーマニア・ブラスの響きを背にマケドニアのエスマが、こぶしの効いた歌を披露します。そして全員総出演でのクライマックスでは、世界のロマが完全に一体となりました。
最後のほうで流れた字幕が、印象的でした。
「ロマは、迫害されてきた。この復讐は、子供たちに教育を受けさせることだ」。
演奏会とキャラバン・ツアーが終わり、そして映画が終了しましたが、しばらく立てませんでした。ロマの音楽と踊りに酔いしれた2時間でした。うっすらと目に溜まった涙をふいて、ひとにやや遅れて立ち上がりました。
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観ました!観て、心に沁み渡った彼らの音と人生に、酔いしれました。と同時に、ああいうツアーが大成功するアメリカという文化もうらやましく思いました。日本にはまだその土壌はまだまだないと思いませんか?
この映画がそんな日本の音楽文化をもっとオープンにするきっかけになってくれるといいなあと、そんな事も願いたくなりました。
投稿: CL | 2008年2月10日 (日) 15時28分