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2008年3月22日 (土)

『太平洋の防波堤』

Photo  1930年代の仏領インドシナ。校長だった夫に先立たれた母親と二人の子供たち。15年の間、映画館のピアノ演奏などで、倹しくくらしながら、貯金をします。そのお金で購入した払い下げ地は、夏になると高潮に舐め尽くされる耕作不能の地でした。母親は、住んでいるバンガローを抵当に借金をし、何百人もの農夫の協力を得て、太平洋に向けて防波堤を築きました。雨期が来て苗を植え、2ヶ月の間苗はすくすくと生長しました。しかし7月、高潮に襲われ防波堤は一晩で崩壊してしまいました。
 マルグリット・デュラス著『太平洋の防波堤』(河出書房新社 池澤夏樹編 世界文学全集Ⅰ‐04 08.03刊)は、この親子三人の、耕作不能地からの脱出の物語です。

 防波堤崩壊後の3人は、疲労と倦怠に沈みつつも、なんとかして現状からの脱出の道を探ろうとします。そうしたとき、一人の青年との出会いが、家族に歪んだ希望をもたらします。
 17歳の娘シュザンヌは、愚かでひ弱な富豪の息子ムッシュウ・ジョーに見初められ、高価な物を贈られます。母親は、あわよくば結婚をと思い定めますが、シュザンヌは毛嫌いし、結果的に男を焦(じ)らします。シャワー中に一瞬、裸の姿を見ることを許しますが、そこまで。そして、ダイヤモンドの指輪をもらう羽目になります。母親は指輪をもらったいきさつを、根掘り葉掘り聞きます。シュザンヌは、まったくの無償(ただ)でもらったと返事。「母親はついに立ち上がった。シュザンヌに飛びかかると、拳をかため、残されているありったけの力をこめて娘を殴った。指輪に対して自分の権利を主張する力、それと同等の強さをもつ、うしろめたさから生ずる力を存分にこめて殴った」。殴られるままの娘と、興奮して殴り続ける母親。やっと兄のジョゼフが、母親をなだめる。母親は、矜持(プライド)と恥辱、高い倫理意識と貧しい生活実態の間で、狂ったように娘を殴り続けました。そして三人の会話は、指輪を売って車を買い替える、銀行の借金返済に充てる、屋根の手入れをする、といった算段をするのです。「心地よい狂躁状態に陥っ」た家族。なんとも嫌な、やり切れない気分にさせられます。
 兄ジョゼフは、女と車と狩りに首っ丈の、野生的で魅力的な20歳の青年です。金持ちに対する強烈な嫉妬と憧れの気持ちを、胸に深く宿しています。ジュアンナは、兄ジョゼフに、どこか胸を締めつけられるような思いを抱いてます。ジョゼフは、金持ちの夫婦と懇意になり、その妻と強烈な恋に陥ります。この恋愛こそ、ジョゼフの脱出への糸口になるのです。
 母親はあくまでも、植民者としての成功のうちに、現状からの脱出を夢見ています。しかし、ジュアンナとジュゼフは、ここからの脱出、そして母親からの脱出こそが、兄弟にとっての現状から抜け出す道でした。それは、母親の死によって実現を予想させます。
 この小説は、植民地全盛時代に、落ちこぼれた不肖の植民者である一家が、主人公です。しかし、植民地には、不肖の植民者を挟んで、はるか上方に、ゴム園経営や不動産投機によって成功を収めた富豪たちがおり、極限の下方に、彼らの搾取のもとに、非人間的生活に呻吟する、インドシナの民衆がいます。
 家族には、住み込みの召使がいました。聾唖者のマレー人とその妻と娘。彼らは、ここへ来る前は、さらに悲惨な生活をおくってきました。終身刑の囚人とともに道路工事に従事していたとき、妻は監視の国民兵の慰みものとされ、たえず妊娠し、そして子どもは次々に死んでいきます。道路完成後は、あらゆる仕事をやりました。「毎年取り入れの季節になると、稲の実った田圃の中の案山子の役をつとめ・・・足を水に漬け、上半身裸で、へこんだお腹をかかえ、灼熱の太陽のもとで、長年におよぶ空腹のことを思いめぐらしながら、稲の茎と茎とのあいだの、水田の曇った水に映る自分のあわれな姿を何年ものあいだ見つめ続けていた。」
 子供たちは、熱帯の地インドシナのもつ、大らかな風景の主人公です。
 「午後はまだ焼けるほど暑く、太陽は高い位置にある。小さな子供たちは、マンゴーの木陰で昼寝をしている。大きな子供たちは水牛の番をして、ある者はその背中の上にちょこんととまり、またある者は川の行きどまりの支流で釣りをしたりしている。みんな歌をうたっている。彼らのあどけない声が、静かな燃えるような大気のうちに甲高く立ちのぼってゆく。」
 また子供たちは、植民地インドシナの、悲惨な地獄の主人公です。
 「はるかに多くの死児がこの平野の泥の中には埋もれているのだ。あまりに死ぬ子が多いため、もはや父親たちも悼んで泣くこともせず、もうずっと前からお墓すら作らなくなった。ただ、仕事から帰ると、父親が小屋の前に小さな穴を掘って、そこに死んだ子を寝かせる。子供たちは、高地の自生のマンゴーや、河口の小猿同様、何の飾りけもなく土に還る。」 
 フランスの「自由・平等・博愛」の経済的基礎に、このような植民地主義があったのです。デュラスは、自ら植民者の娘としてインドシナに暮らし、フランス植民地主義の実像を赤裸々に描き出しました。
 

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