食料自給率39%の意味
今日の朝日新聞は一面記事に、「食の自給 外国人頼み」と題したルポを掲載しました。歌野清一郎記者は、高原レタス生産量日本一の長野県川上村を訪ね、レタスの苗植えや収穫作業などの農繁期の労働を、中国東北部・吉林省の農民に依存している現場を取材しました。また、近海カツオ一本釣り漁で日本一という宮崎県南郷町では、カツオ漁がインドネシアの水産高校卒業生の労働力に依存していることを、見出します。そして記者は、「食料の自給率が39%まで落ちた日本。中国製食品への不信が広がる一方、日本の自給の現場はいまや中国人頼みになりつつある」と報告しています。
農業現場での中国人「研修生」は、私自身、群馬県赤城山麓の高原野菜地帯や茨城県鹿島灘の施設メロン地帯で、見たり聞いたりしたことがあります。農業分野での外国人「研修生」は、06年で7496人。いまや、日本の農業には、欠くことのできない労働力になっています。
食料のカロリー自給率39%の一面です。
この「自給率39%」から見えてくること。
中国製冷凍ギョーザの農薬混入事件は、私たちの社会に、「食」と「農」のありかたを根本的に見直すことを迫るほどの、大きな衝撃を与えました。昨年たて続けに起きた食品偽装問題は、食品の製造・流通・行政に関わる人と法人との、法的・道徳的な堕落と荒廃ぶりとを、赤裸々に炙り出すものでした。しかし、とにもかくにも、人命に関わるような問題とはならなかった。冷凍ギョーザ事件は、現実に農薬急性中毒という犠牲者を出し、食品偽装問題とは、根本では共通問題があるとしても、格段にレベルの違う事件だったといえます。
月刊誌「世界」5月号(岩波書店08.04刊)は、食料・農業問題特集を組んでいます。冷凍ギョーザ事件の背景に、外国依存を強める日本社会の「食」のあり方と、崩壊の危機にある「農」の現状を見出し、再生へのシナリオを模索しています。
大野和興稿『農と食の崩壊と再生 農の現場から道筋を見つけ出す』は、現在、農業をめぐって何が起こっているかを、報告します。
まず、カロリー自給率39%の内容が分析されます。コメ・コムギ・大豆・畜産物・油脂類・野菜等の主要食品の全てが、自給率を大幅に下げています。一方、食事の内容が、コメ45%減に対して、摂取カロリーで、畜産物2.5倍、油脂類2.3倍(65・05 対比)。その結果、「この列島の住民の食事はますますメタボ傾向を強め、そうなればなるほど輸入に傾斜するという方向をたどっている」。
では、自給率39%を支える農業は、どうなっているのか。最大の問題は、米価の下落。20,814円/60kg・90年、20,204/95、16,084/00、14,820/06。生産費は、16,824円/60kg・06年。赤字であることは、いうまでもありません。「米価下落はコメ作り農民全階層を直撃している」。その結果、水利費や地代が払えない農家が出てきており、「農家世帯が次第に窮乏化している実態」が垣間見えます。日本の平均耕作面積の4,5倍の「大規模層さえ、農業収入だけでは家計は赤字」です。
しかし、農家は黙ってはいません。山形県置賜盆地での「俺達百姓は怒っている!」集会や「百姓は動いた、この国の生命の値段を考える」講演会の模様が、最後に報告されています。地域興しに、商家と農家が手を携えて、何かを一緒に、と真剣な模索がはじまっています。「地域のさまざまな分野、階層の住民がグローバル化に対峙して動き始めた・・・地域に腰をすえて、いま世界を覆っている構造を変えようとするこうした動きがうねりとなって広がっていく」ことを、筆者とともに念願します。
鈴木宣弘稿『日豪FTAで日本農業は崩壊する』は、「食料自給率一割台も空想次元ではない」と警告しています。筆者は、経済界や食料輸出国からの、高関税・閉鎖的批判と食料市場開放要求を、誤りだと明確に批判します。日本の食料市場は「世界的にも最も開放され」ているし、わずかに残された最重要品目の全面的な関税撤廃をすれば、「日本の食料生産は競争力が備わる前に壊滅的な打撃を受け、自給率は限りなくゼロに近づいていくだろう」としています。
鈴木論文で関心を惹いたのは、食料自給率低下にともなう「窒素過剰の問題」です。日本の農地の適正循環可能な窒素限界は124万トン。現状は既に、238万トンの窒素(食料由来)が排出されいる。過剰な窒素は、①酸性雨と地球温暖化の原因、②硝酸態窒素が地下水に蓄積(水質汚染)、③硝酸態窒素の多い水や野菜は、幼児の酸欠症や消化器系ガンの発症リスクの高まり、等が指摘されます。従って、窒素需給の改善が、国土の環境と国民の健康にとって重要であるとし、食料の過度の輸入を戒めています。
山本博史稿『「日本の台所」になったアジアの実情』は、問題となった中国製冷凍ギョーザが、日生協の推奨する「コープ食品」だったことを、取り上げています。90年代、生協主流が、「安全・安心」から「安さ」優先へと、その事業姿勢を大きく転換してきたと指摘します。しかし、アジアからの輸入食品には「安さ」の理由がある。つまり「現地労働者の極端な低賃金と無権利状態」そして、「「安全・安心」を求める消費者運動の未成熟」という現実です。筆者は、協同組合の貿易活動に対して、「双方の国民生活が持続的に発展できるように配慮された、オルタナティブなフェアートレードを」めざして欲しいと希望を述べています。
佐藤剛史稿『「弁当の日」が切り拓く日本の未来』は、なかなか秀逸なレポートです。香川県のある小学校で始まった「弁当の日」運動。子どもたちが各々、買い出しと弁当作りをやり、そして皆と一緒に食べる。「弁当の日は、子どもたちに家事の力と、人のために食べ物を作る喜びと、誇りと、自信と、最高の笑顔をもたらし」ました。そしてこの運動が、福岡県の大学生へと波及していきました。九州大学の弁当の日。毎週月曜日が弁当の日。日曜日スーパーへ行って買い物をし、夕食は手作り。そして月曜日は早起きして弁当作り。朝御飯もしっかり食べる。「昼休み、決められた場所に集まり、弁当を披露し、堪能し、談笑・・・・・ものすごく楽しい気持ちで一週間が始まる」。筆者は学生たちに言います。「君たちは将来・・・社会のリーダー的役割を担うことになる・・・組織をマネジメントしなければならない・・・組織をマネジメントしょうと思えば、まずセルフ・マネジメントから・・・時間、感情、健康、いろいろあるが、すべての基本は食のマネジメント・・・何をどう食べるか」。こうして九大の弁当の日は、06年10月から続き、08年2月で43回目になりました。「食育」のあるべき姿が、ここにあります。
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コメント、ありがとうございます。
『世界』の中では、かなり異色な原稿だと思っていましたが
こうした評価を頂いて本当に嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 佐藤剛史 | 2008年4月21日 (月) 06時19分