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2008年5月 5日 (月)

ブルガーコフ著『巨匠とマルガリータ』

 文学全集を、全巻通しで読もうとするのは、今回が初めてです。学生時代、筑摩書房の「世界文学大系」をつまみ食い的に読んだことがありますが、あとはほとんど文庫か単行本です。いずれも、何らかの理由により、自ら選んで読んできたものです。今回の河出書房新社刊「世界文学全集」では、作家池澤夏樹さんの選んだ小説を、とりあえず全巻読むつもりで、購読を開始しました。既に配本の終わった4巻6作品はいずれも、主人公たちの強烈な個性と刺激的なストーリーに惹かれ、読書の愉しみを十分に味わうことができました。そこで、ベルギーにいる娘に、推奨の気持ちを込めて先日、これら4巻を送りました。
 ミハイル・ブルガーコフ著『巨匠とマルガリータ』(河出書房新社・池澤夏樹編「世界文学全集Ⅰ-05」08.04刊)は、はたして娘に送ってやったものかどうか、読み終わった今、迷っています。決めるのは、娘自身ですが。

 夕暮れのモスクワ、編集長と詩人がある池のほとりで、イエスの非存在について語っています。そこに、黒魔術の専門家と称する外国人が現われ、編集長の轢死を予言します(そして後の章で、編集長の首は予言どおり、轢断されます)。次の章では、ユダヤ駐在ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスが、イエスの処刑判決を承認するに当たって苦悶する様子が、聖書の一節のように描かれます。前章との関連はわかりません。
 劇場の魔術ショーの場面は、奇々怪々と喧騒の世界。天井から舞い落ちてくる無数の10ルーブル紙幣を競って取り合う観客は、興奮の坩堝に陥ります。混乱を沈めようとした司会者は、立ってしゃべる黒猫によって、首を引っこ抜かれ、そして元に戻されます。女性には、パリ仕立ての洋服や靴や香水が、取り放題にまかれます。会場にいた女たちは、舞台に殺到。劇場は「地獄さながらの笑いの爆発、すさまじい悲鳴が聞こえた」のです。しかし、劇場から出てきた観客たちは、集団催眠から覚まされます。女たちは、帽子をかぶり傘を持ちながら、シュミーズと紫色のパンティだけの姿で、街を逃げ惑います。タクシー運転手に10ループル紙幣を払い、受け取りを拒否されます。偽札だったのです。劇場の会計主任が財政部に売上を届けた際、ルーブルの筈がすべて外国紙幣に化けており、その場で逮捕されます。
 小説の三分の一が終わったあたりで、主人公の「巨匠」がやっと登場します。彼は10万ルーブルの宝くじに当たり、翻訳の仕事をやめポンティウス・ピラトゥスを主人公とする長編小説を書きはじめ、前後して美しい人妻と恋をしました。しかし編集長や評論家から無視され、ついに作品を燃やしてしまいます。そのうち暗闇を恐れ幻覚を見るようになり精神病院に入院します。この精神病院が、この小説の重要な場面のひとつとなっています。
 
 次々と人物が登場します。他のロシアの文学同様、名前をなかなか覚えられないため、ストーリーを追いかけるのも大変です。しかも、奇想天外・摩訶不思議な物語が展開されている。前後の関係がわからない、頭は混乱するばかり。登場人物たちも、小説のなかで大混乱を起こしているのですが。第一部最後の行で、著者は言います。「この真実の物語の第二部に移る時が訪れているのだ。私につづけ、読者よ」。著者に励まされ、第二部へと進みました。

 もう一人の主人公マルガリータが、第二部冒頭に、遅ればせながらやっと登場します。若く地位ある科学者の妻マルガリータは、何不自由のない生活をしていました。しかし、巨匠との街角での偶然の出会いによって、彼を愛してしまったのです。彼女は、巨匠の燃やされた小説の復活を、こころから願っています。魔術師の子分の一人から、魔法のクリームを全身に塗られ、魔女になって空を飛んでいきます。女王として悪魔の大舞踏会に行き、巨匠を救出するために。真夜中に舞踏会が始まり、次々と客人が到着します。国王の愛人を毒殺した贋金名人とその妻、女王の愛人で妻殺しの伯爵、腐乱した屍、夫殺しの毒薬を売った女、嬰児殺しの元ウェイトレス、絞首者、女衒、獄吏、詐欺師、獄吏・・・・・。そして最後に魔女の一群と酔っぱらった吸血鬼。ヨハン・シュトラウスがオーケストラを指揮して、ワルツを演奏しています。猿のジャズ・バンドも登場します。ホールでは、無数のカップルが踊っています。プールにはシャンパンが満たされ、そしてコニャックに入れ替えられます。
 第一部のハイライトが大魔術ショーなら、第二部のそれは、この悪魔の舞踏会の場面です。

 ともかく現実と幻想が、入れ替わり立ち代り、現れては消えていきます。筒井康隆氏の小説を思い起こさせます。主として通勤時に読書するので、1回90分単位、だいたい私のスピードだと、50ページくらいづつ読むことになり、前回と今回の物語が断絶して、いっそう理解しがたく、こんがらかえってしまいます。1回の読書では、私の能力では、理解に限界があります。

 著者ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)の作家活動は、1920-1940年、29歳から49歳までの20年間ということです。スターリン時代のソ連が活躍の舞台です。しかし、人生の後半は、戯曲の上演禁止や出版禁止など自由な作家活動が出来なくなります。この『巨匠とマルガリータ』は生前発表されず、1966年、死後26年目に初めて活字になったと、翻訳者によって紹介されています。
 巨匠の作品『ポンティウス・ピラトゥス』(小説のなかの小説につけた私の仮題)が、モスクワ作家協会幹部会議議長の編集長から没にされ、みずから焚書とした背景は、作者自身の経験を示唆します。『ポンティウス・ピラトゥス』(仮題)のなかでピラトゥスにぎくりと身震いさせている言葉が出てきます。「・・・最大の罪・・・臆病」。イエスの無罪を知りながら、死刑判決を承認した総督の臆病。これは、ソ連の抑圧体制化での知識人の臆病を直接指しているのでしょう。
 では現在、この小説を読んだとき、私たちには何を読み取れるのでしょうか?
 9.11後のアメリカ社会の「反テロ」キャンペーン、拉致問題による北朝鮮バッシング、郵政民営化選挙での刺客キャンペーン等々、集団催眠に掛かったとしか思えないような現象が、続いて起こりました。高校卒業式での君が代斉唱拒否問題は、多くの良心あるひとびとの「臆病」を引き起こしました。
 今一度、読む機会を得たい小説のひとつです。

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