F先生の思い出-みどりの日の前に
通勤途中にある高崎市内の県道の街路樹が、胴体部分でバッサリと伐採されました。道路の両側10本ほどです。目通りの幹周りで100㎝以上はある、街路樹として風格を持ち始めつつあったアメリカ楓です。この街路樹についてはここ数年、秋の紅葉前に緑葉のまま剪定され、せっかくの楓の美しい紅葉を楽しめず、不満を持っていました。今回はついに、胴斬りの憂き目に会ったのです。
「緑ゆたかな街づくり」をテーマにした「全国都市緑化ぐんまフェア」開催中のことであり、前橋でのチューリップ切断事件のあとなので、もしかして主催者群馬県への嫌がらせかと思い、県へ問い合わせました。豈(あに)図らんや、犯人は県土木でした。県道拡幅のため歩道を削ることになった、移植先といっても引き取り手はない、そこで伐採して廃棄することとした。県の現場担当が、悪びれることなく説明してくれました。
近年街路樹は、道路の建設にともなって、地方都市から農村部を通る県道・市道・町道にまで、積極的に植栽されるようになりました。夏の緑陰と秋の紅葉など、日本の道路景観に美しさを提供しています。しかし、その設計と管理に疑問を感じることが多い。
市街地の狭い通路に、大きく扇状に枝葉を広げるケヤキを植栽し、電線や交通標識、あるいは看板の邪魔になるといって、不用意に伐採されている例を、各地でみることができます。パチンコ店が、商売の邪魔だといって勝手に柳の街路樹を伐採した事件もありました。これらは、樹種の選定や植える場所を間違えているのです。
また、造園会社による剪定の杜撰さには、目を覆いたくなるものがあります。街路樹の剪定は可能な限り、その樹が本来持っている自然樹形に仕立てることが大原則のはずですが、そんなこと構っていません。イチョウの天空にまっすぐ伸びた先端の枝を不用意にカットしたり、箒状のケヤキを、枝を抜くのではなく、大胆にも箒部分を半分くらいに切断している例は、各地で見かけます。ヤマモミジを街路樹にするのも如何なものかと思いますが、それをバッサバッサと枝切りしているものですから、不定芽があちこちから出てきて、お化けのように奇妙なモミジとなっています。また、先に言った紅葉・落葉前の剪定は、落ち葉を嫌う地域住民の訴えで、各地に広がっているようです。落ち葉が嫌なら、植えなければいい。暑い夏場の緑陰だけを摘み食いするという我がままは、許されません。あちこちにあるアメリカハナミズキの街路樹は、花の美しさにかかわらず、多様性のなさと一律選択にウンザリさせられます。
就職して初めての仕事は、緑化木を育成し販売することでした。その時職場には、東京都の緑化事業に永年携わってこられた技術者のF先生が、都庁から移ってきて、在籍されていました。私にとっての樹木の先生でした。都市緑化や植木のことを語るときのF先生は、口角泡を飛ばし、情熱的に語って止むことを知りませんでした。あるとき先生とともに、茨城県のある植木産地を訪ねたときのことです。その日は、幹周り45㎝の大きなケヤキを育成するために、高さ3m・幹周り15㎝くらいのケヤキ苗を畑に植えるための研修が、目的でした。自信たっぷりの生産者が、結わえられたケヤキの枝先1mほどを、先の街路樹と同じように、バサッと切断していました。F先生は、大声でその生産者を叱り飛ばし、自ら剪定ばさみをもって、ケヤキの枝抜きをやって見せました。ケヤキの命は、箒状の姿をどのように保つかなのだと、口酸っぱく力説しました。
東京の街路樹は、日本一美しいと思います。幸い、F先生の教えが、今にも生きていることを感じます。F先生は、私より30歳以上年上でしたので、ご存命とすれば90歳を超えていらっしゃるはずです。切り倒されたアメリカ楓を見たなら、F先生は激怒されたことだろうと想像します。図らずも懐かしく思い出しました。
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