イラク戦争を生きた二人の子ども
ユルゲン・トーデンヘーファー著『アンディとマルワ』(岩波書店 08.03刊)は、日本の自衛隊も参戦しているイラク戦争で、海兵隊員として若い命を落としたアメリカの青年と、家の前に落ちた爆弾で右足を失ったイラクの少女の姿を描いたノンフィクションです。
アメリカ合州国海兵隊予備兵アンドリュー・ジュリアン・アヴィレス上等兵は、2003年4月7日、バクダッドで爆弾に被弾し、戦死。海兵隊に入隊してたったの9ヶ月余のことでした。享年18歳。
同じ日、バグダッドに住む11歳の少女マルワは、アメリカ軍の落としたクラスター爆弾に被弾し、右足を失いました。一緒にいた3歳下の妹アスラーは、左目に被弾、間もなく死亡。
著者は言います。「子どもひとりの命は世界中の国家指導者の戦功より重い」と。
アンディの足跡を、辿っておきます。徴兵制ではないアメリカで、ひとりの若者が、何故、どのようにして軍隊に入り、戦場のイラクに行き、ついに戦死してしまったかを、記憶しておくために。
アンディは1984年4月24日、ニューヨークのブルックリンに、教師をするヒスパニック系移民の両親から生まれました。幼児のころから、「まわりの人を魅了せずにはおかない明るい笑いと・・・きらきら光る瞳」が人目を引きました。小学校、高校と成績優秀でとおし、しかも陽気で楽天的でひょうきんもの、生徒の間で人気者でした。
15歳のとき、自由選択科目として週に一度、「赤い縁なし帽とダークグリーンの軍服に惹かれて」陸軍の軍事訓練に参加しています。ボーイスカウト気分での参加。高校では、海軍の軍事訓練に参加しました。アンディは、職業軍人になるつもりはなく、最大関心事は、学校生活、友だち、女の子と、アメリカのどこにでもいる普通の高校生でした。生徒の軍事訓練への参加は特別のことではないようです。アメリカでの軍隊と学校の関係の近さが、大変興味深い。徴兵制のかわりに、若者を軍隊へと導く通路が、このように準備されているのでしょう。
ある日、スポーツ週刊誌に「資料を請求した人にはもれなく重量挙げ用グローブを進呈する」との海兵隊の宣伝を見つけました。17歳のアンディの目的は勿論、海兵隊ではなくグローブ。1週間後、海兵隊から面会を求める電話。グローブを貰うためならと、慎重な父親を軽くいなして、学校に訪ねてきた徴募係に会うことになりました。やはり、軍人が堂々と、学校へリクルートに来ています。「背が高くてたくましい、きれいな青い眼をしたとても親しみやすい感じの若い」徴募係の男性は、熱を込めて、海兵隊の武勇伝や訓練について語り、「これをやり遂げられるのは、ごくわずかの選ばれた人間だけだ」とつけ加えました。
この徴募係(リクルーター)の実態については、堤未果さんが『貧困大国アメリカ』(岩波新書08.01刊)で詳しく報告しています。ノルマ未達だと前線に戻されるとの強迫観念から、過酷な勧誘競争を強いられているリクルーターたちのひとりが、アンディの前に現われたのです。
2001年の前半は、あの湾岸戦争からは10年もたち、戦争が起こるとは誰も考えていない時期でした。「予備兵」だとの軽い気持で、両親の懸念を振り払い、アンディは海兵隊に行くことにしました。基礎訓練3ヵ月、あとは1ヵ月1度の週末訓練、手当も出る。4年で終了。アンディの人生設計は、将校になるつもりは全くなく、フロリダ州立大学で経営学を学び、叔父の不動産会社に勤めてあとを継ぎ、いずれ両親のための終の棲家を買ってあげたい、というものでした。
2001年、9.11テロ攻撃とその後のアフガニスタン戦争。他の多くのアメリカ人同様に、アンディと両親はブッシュ大統領を支持していたけれど、カブールの空爆を喜ぶ気にはなれない。ただ、アンディには、アフガニスタンは、はるか遠くの国であり、海兵隊の基礎訓練もずっと先のこと。まずは、高校の卒業が、当時の関心事でした。
2002年5月末、250人中3番の成績で高校を卒業、大学4年間の奨学金取得の資格も得ました。同年6月10日、サウス・カロライナの海兵隊キャンプにて基礎訓練開始。限界超える厳しい訓練が続きます。3ヵ月の訓練のあと2週間の休暇、そして今度はいよいよ、戦闘訓練のためキャンプ・ルジューンに入隊。ひと月後、カリフォルニアのキャンプ・ペンドルトンに異動、武装した海兵隊員20人を運べるキャタピラ車のアムトラックの運転手としての教育を受けました。2週間のクリスマス休暇は家族や友人と存分に楽しみます。クリスマス休暇後、3週間のキャンプ・ペンドルトンでの滞在、そして、2003年1月28日再び家へ帰り、両親にクェートへいく可能性を告げます。「アンディは予備兵じゃないか」と両親の顔から血の気が引きます。そして、クェート行きが、現実となります。
2月25日クェート到着、最前線のA中隊第二小隊に配属されます。3月6日の手紙で、上等兵に昇進したことを、両親に知らせています。
2003年3月20日、イラク国境を越える。イラク砲兵隊に射撃されるが、アメリカ軍に被害はなし。バスラで国際空港を攻撃し制圧。砂嵐に見舞われる。散発的にイラク狙撃兵の攻撃。ナーシリアでイラク軍に待ち伏せされ、海兵隊員18名死亡。しかし、力の差は歴然とし、大量破壊兵器での攻撃に怯えつつも、たいした抵抗にあわずに4月6日、目的地チグリス川流域の運河に架かるディヤラ橋に到着。岸の向こうは、バクダッドだ。4月7日、「海兵隊第一歩兵師団の特別部隊は、橋に向かって突撃する準備ができていた。数分後に出撃せよとの指示を、アンディは無線で聞い」ていました。アンディはハッチからアムトラックに乗り込み、運転席で命令を待ちます。イラク軍の砲撃と海兵隊の一斉射撃。「突然かすかにシューシューという音がした。それは蛇が動くときのような音だったが、しだいに大きくなり、どんどん近づいてきた。アムトラックの砲座と運転席の間で起きたすさまじい爆発音を、アンディはもはや耳にすることはなかった。」
海兵隊に予備兵として入隊して、たったの9ヶ月余。アンディは、あまりにもあっけなく、短い人生を閉じたのです。
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