酒井啓子著『イラクは食べる-革命と日常の風景』を読む
酒井啓子著『イラクは食べる-革命と日常の風景』(岩波新書 08.4.22刊)は、もてなしのイラク料理が思わず舌なめずりを誘い、著者による戦後のイラク社会分析が、頭の中のもやっとしていた霞をふり払ってくれる、そのような本です。
例えばこんな具合です。「終章 ひっくり返しご飯」は、マクルーバというアラブ料理について。鍋底に羊肉・野菜を敷き、コメを乗せて炊く。できあがったら、大皿にひっくり返して、肉・野菜・ご飯がきれいに層をなしたら成功。レシピには、アラブ料理用スパイスとして、「黒コショウ、シナモン、オールスパイス、カルダモン、クローブ、ナツメグ、シュウガ、乾燥させたバラの花弁を混ぜ合わせたものを使用」とあります。キッチンから、イラク料理の芳香が漂ってくるようです。マクルーバは、「ひっくり返されたもの」の意。そして・・・
・・・著者の酒井啓子さんはマクルーバをうけて、イラクで2003年以降に起こったことを、さまざまなことが「ひっくり返った事件」だったと括ります。①米英・有志連合軍がフセイン政権をひっくり返し、②英米期待のリベラル政権樹立の将来像をひっくり返し、イスラム政権が成立した。③長年行政の中心にいたテクノクラートがひっくり返され、代わりに社会の底辺にいた持たざる若者たちが、街区や省庁を征した。④他国への軍事介入は主権侵害という国際政治の「常識」が米軍攻撃でひっくり返され、⑤かつて植民地支配だと糾弾された外国支配が「復興」「人道支援」という美名へと価値観がひっくり返された。
もうひとつの大きな「ひっくり返し」。過去の政権は、自国の軍を利用する軍事クーデターによって政権を奪ってきた。しかし、現在のイラク政権は、革命を希求するために、自国の軍を動員するのではなく、米英超大国の軍を起用した、と鋭く指摘します。
こうして成立した現在のマーリキー政権は、イスラム革命政権であると、著者は明言します。それは、2006年12月30日のサダーム・フセイン死刑執行時の立会人の言動によって、全世界に知れ渡ります。「立会人によって隠し取られた映像には、立会人が、シーア派イスラーム主義運動の祖ムハンマド・バーキル・サドルと、イスラーム革命を賞賛する声が記録されて」おり、この処刑を、現政府要職の政治家たちが、全面肯定しました。アメリカ政府は80年代、イランのイスラム革命を打倒するために、イラク・イラン戦争でサダム・フセインを公然と支援しました。そして今度は、そのサダム・フセインを倒して、イラクの地にも、イランの影響が強烈な、イスラム革命政権を誕生させてしまったのです。歴史の皮肉としか言いようがありませんが、現実はそうなっているのです。
政府を支えるテクノクラートの解体が、現在のイラク政情の不安要因のひとつをなしている、と著者は見ます。「イラク攻撃の後、建国以来行政と軍事を担ってきた人々は・・・従来の地位から放逐され・・・党は解党され、軍、警察は・・・解体され、政府高官は職を追われた。スンナ派もシーア派も、80年代までイラク社会の膨大な中間層を支えてきた人々は、政権が転覆されるまでに自らが築いてきた技術や知識、職務経験などは将来の地位の保証にならないのだ、と気づくことになる。かつて彼らが占めていた国家運営の要には、全く経験のない「持たざる者たち」や政治的イデオローグが就いている。行政能力はなく、政治力が優先される時代になった」。
著者は、「人道支援」のための自衛隊派遣が、アラブ諸国に対して「軍事力によらない日本の中東外交」というイメージをひっくり返し、「米国に追随し、米の対中東軍事戦略に加担」しているという日本認識を広げた、と指摘します。イラク復興に対する日本のあるべき貢献について、軍国主義を脱して平和への道を歩んできた日本の戦後の経験が示唆されますが、「他者に提示できるほど我々はそれを考えてきただろうか」と疑問符をつけながらも結局著者は、この道しかないと思い定めているようです。平和憲法を持つ日本の貢献は、前文や9条の精神にのっとって、イラクの人々による平和構築の努力を、ただひたすら非軍事面に限定して支援していくことだ、とあらためて思います。サマーワへの自衛隊派遣が結局、自衛隊を反政府軍の攻撃から自衛するために行ったような、漫才ネタにもならないような阿呆なことをしてきた訳ですが、それは、自衛隊が軍隊ゆえに攻撃対象となり、自衛隊ゆえに自ら「自衛」するしかなかつたことの必然的な結果でした。非軍事面での貢献メニューは広範で多様なものであり、すべてが長期間を要すると予想されます。戦後日本社会が築いてきた多くの知恵と技術が、戦乱のイラクの地において、生かされるものと確信します。
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