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2008年6月14日 (土)

磐越西線、猪苗代湖、安積疎水

P1020695 一昨日の午後、会津若松での研修会に参加するため、郡山駅から磐越西線の快速列車に乗りました。列車は空いており、幾組かの観光客らしき人々が、ゆったりと列車の旅を楽しんでいました。斜め向かいに座った70歳前後のご夫婦は、修学旅行生のように、浮き立つ気持ちを抑えられず立ったり座ったり忙しい。隣席の更に年長のご夫婦は、小ざっぱりとした服装で日除け帽を被り、白い運動靴を履いて静かに腰掛けています。お揃いのリュックサックには、何か一杯入っており、これから猪苗代湖畔を散策しょう、といった感じです。ちょっと幸せな、高齢社会の一シーンでした。

 「どちらへ行くんですか?」と、年上の婦人が年下の婦人に、岩手の言葉で聞きました。「会津若松へ行く」と年下の婦人は、福島言葉で元気に答え、「あなたは?」と問い返しました。すると年上の婦人は「どこへ行くかわからない」と力なく答え、場は少し白けました。年下の男性は、右に左に席を替えながら、両側の外の景色を堪能していました。年上の男性は、ポケット版時刻表から剥がしとった古い鉄道地図を、飽きることなくずっと見続けていました。一度も、外の景色を見ることはありません。
 70分ほどで列車が会津若松に着くと、年下のご夫婦は嬉々として降りたっていき、年上のご夫婦はふたりとも、寝入ってました。「着きましたよ」と軽く声をかけても反応なく、再び少し声を大きくすると、ぼそっと目を覚まし、しかし、降りるとも降りないともつかない、曖昧な態度です。「終点ですよ」と念を押して、私は列車を降りました。研修会場に行くためのタクシー乗り場を確認し、少し時間があり気にもなったので、改札口に戻って先の年上のご夫婦が出てこられるのを確かめようとしましたが、いくら待っても出てきませんでした。

P1020606 翌朝は天気快晴で気持ちよく、帰路、駅でもらった観光地図にあった「十六橋・ファンドールンの碑」へ行ってみました。猪苗代湖の西北角の地にあり、唯一湖から水が流れでる湖尻の地点に、十六橋水門がありました。湖尻から流れでる日橋川の水量と猪苗代湖の水位を調整するための制水門です。1879年(明治12)から始められた安積疎水建設事業の一環として築かれ、1880年に完成しました。当初は、石製の眼鏡橋で、水門16個からなり、扉は1門ごとに8枚の閘板(水門板)をはめ込み、湖水量を調節しました。その後、鋼鉄製の電動巻上げ式に変えられ、橋も分離され、現在に至っています。 P1020601
 十六橋水門の脇に、西欧人のブロンズ像が立っていました。オランダ人水利技術者ヨハネス・ファン・ドールン(1837‐1906)。ドールンは、1872年(明治5)来日し8年の間に、日本各地の河川改修、築港等の多くを計画し立案しました。十六橋水門を初めとした安積疎水は、ドールンの調査・設計によって建設されました。安積疎水建設の功労者の一人です。このブロンズ像は、第2次世界大戦末期、山中の土に埋められて軍部の供出命令を回避した、とのこと。P1020634
 まわりは猪苗代湖の入り江で、森に囲まれた小さな湖です。遠くで若い男女が魚釣りをしていましたが、他に人気はなく静寂そのものでした。このような処で、日がな一日、ベンチに腰かけてボウーと過ごせたらなあ、と思いました。が、旅の人は、忙しい。次へ急ごう。
P1020702  猪苗代湖の北側を、国道沿いに東進しました。東側湖畔に、上戸水門がありました。十六橋水門が、猪苗代湖の水位調節の役割を果たしてきたのに対して、この上戸水門は、湖の水を直接取り安積疎水へ送り出す機能をもちました。上戸水門頭首工です。勿論現役です。灌漑用水として9,646haの郡山市とその周辺の田畑を潤すとともに、水道用水としても43万人の市民たちに供給され続けています。P1020677
 安積(あさか)疎水は、日本三大疎水のひとつ(田は那須疎水と琵琶湖疏水)。明治新政府は、殖産興業と士族授産(失業対策)事業として安積原野を開拓し、この開拓地に水を供給するために、猪苗代湖から水を引く安積疎水を建設しました。この安積疎水建設のもう一人の功労者が、旧米沢藩士で県職員、中條政恒。当地では「安積開拓の父」として、いまも尊敬されています。この中條の孫が、中條百合子、後の宮本百合子です。作家で共産党議長宮本顕治の妻。歴史の連想ゲームは、おもしろい。旅先で、思いがけず発見するのも、また楽しい。不勉強な者の特権として。

 冒頭の花は、上戸水門頭首工を見下ろす丘の上に登ったとき、足下にシャガとともに咲いていた花です。娘からタイツリソウ(鯛釣り草)またはケマンソウ(華鬘草)と教えられました。中国原産の園芸種で、当地では野生化したもののようです。

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