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2008年6月 2日 (月)

『ハワーズ・エンド』の格言

Forster  「ハワーズ・エンド」とは、「古くて小さくてなんとも感じがいい、赤煉瓦の家」のことです。小説は、この家をめぐって、異質な二つの家族が出会い反発し合いそして結ばれていく、という風俗小説です。このカテゴリーを「世態・人情・風俗の描写を主とする小説」(広辞苑)と定義すれば、『ハワーズ・エンド』はまさに、20世紀初めのイギリスの「世態・人情・風俗」をたくみに描いた風俗小説です。
 谷崎潤一郎の『細雪』を連想させます。そういえば、「結婚」や妹の「自由奔放」な思想や行動が、重要なモチーフになっているところも、両者の共通なところです。そして誕生年は、フォースター1879年、谷崎1886年。同世代の作家です。
 E.M.フォースター著『ハワーズ・エンド』(河出書房新社 池澤夏樹編 世界文学全集Ⅰ-07 08.05刊)。

 この小説の面白いところは、登場人物の多彩な個性や、彼等の織りなす物語の展開とともに、著者フォースターの格言や警句が各所に散りばめられており、それが効果的な役割をしていることです。この格言・警句を、いくつか書き留めておきます。

 「人生は時には人生で、時には単に劇に過ぎないことがあり、その二つを区別しなければならない」―二つの異質な家族の一方、シュレーゲル家の姉が、いつも妹に言っていること。ウィルコックス家に滞在している妹ヘレンが、姉マーガレットに書き送った手紙に書いています。妹は、ウィルコックス家との交流を、まるで芝居のようだと感想を書き送ったのです。
 
 「一人のしっかりした実業家のほうが十人の社会主義者よりも世間のためになることをする」―主人公のひとりヘンリー・ウィルコックスの「奇妙な主張」。氏は、みずからの力で資産を築いた実業家で、人間の平等や婦人参政権、芸術や文学も、無意味だとする保守的な人物。この人物に対して、著者は強烈なパンチを一発食らわせています。「ギリシャやアフリカであくどい金儲けをやり、現地人から何本かのジンと引き換えに森林を手に入れた男」。

 「貧乏な人たちは自分が愛したい人たちの所まで行けないし、もう愛さなくなった人たちから離れることもできないんですから」―もうひとりの主人公、シュレーゲル家のマーガレットは、妹や弟ともに父親の残した資産で豊かに暮らしています。音楽を愛し文学を論じる自由で進歩的な一家。ベートーヴェン『運命』のコンサートで知り合った、音楽と文学を愛する貧しいプロレタリアートの青年レオナードを見て、マーガレットがもらした言葉。

 「もしウィルコックス家の人たちのようなのが英国で何千年も働いて死んでいかなかったら、わたしたちがここに無事にこうして休んでいることだってできはしなかったでしょう。そうすればわたしたち、文学に興味をもったりしているものを運ぶ汽車もなければ、汽船もなくて、畑さえなかったかも知れない」―実務家ウィルコックスとその家族に対するマーガレットの、弁解的評価。まるで異質なウィルコックス氏と結婚へ。

 「恋愛は一人の恋するものとそれが恋しているものだけの問題であるはずなのに、この恋愛の落下でおよそほうぼうの岸が海嘯(つなみ)に襲われることになる」「財産と体裁という二つの大きな岩が根元まで剥きだしにされ、お家自慢が水面まで上がってきてのたうちまわり・・・宗教がなんとなく禁欲主義的な気分を漂わせて睨みを利か(せ)・・・弁護士という冷血動物(が)・・・財産と体裁に処置をつけ、お家自慢と宗教を宥める」―二つの異質な家族の、マーガレットとウィルコックス氏は婚約しますが、マーガレットは結婚に向けての騒ぎを予感します。

 「後悔というのは真実の世界に属するものではなくて、ギリシャ人がこれを美徳とみなさかったのは正しかった」―ヘレンとの間に子どもをつくった貧しいレオナードは、どうすることもできずに、ただ後悔をするばかり。

 「生命は深い、深い河であって、死は青空であり、生命は家で、死は一掴みの乾し草、また、一輪の花、また、塔であって、生命と死は、王(キング)が女王(クィーン)に勝ってその王に一(エース)が勝つこの秩序ある狂乱以外、なんででもあり得るのだった」―レオナードの突然の死に混乱するマーガレットは、その死の向こうに、真実の人間と人間の関係を隙間見ます。 

科学は人間というものを説明しても、理解することはできなかった。今までの何世紀もを科学は骨と筋肉を相手に過ごした後、ようやく神経に向かって行き始めていても、それで得た知識は理解にはならなかった」―貧しい労働者レオナードの死体検分にきた医者にたいするマーガレットのつぶやき。 

 「家というものにはそのめいめいの死に方があって、それは人間の場合と少しも変わらず、ある家は悲劇的な轟音とともに、ある家は静かに、しかし亡霊の都市に生命を得て、またある家は・・・その肉体が消える前からその魂が出て行ってしまう」―30年間にわたり姉妹が住んでいた家が、家主の都合で取り壊されることになっての感想。家が主人公であるこの小説の面目躍如たるところ。

 「商業的な時代の到来とともにその幹部に相当する人間の内面に生ずる暗闇に対する抗議」―婚約者ヘンリーは、財産権を盾に、妹ヘレンのハワーズ・エンドでの一晩だけの滞在を拒否します。こうした態度に、マーガレットの堪忍袋の緒が切れます。

 キリがありませんので、このへんで終えます。
 

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