桧枝岐から三条の滝へ
年に一度の、昔の仲間との尾瀬の山歩き。今年は、南会津の桧枝岐から三条の滝を目指します。前泊地の桧枝岐は、阿賀野川の源流に近い桧枝岐川沿いにある、山深い里でした。伝統ある村だけに諸事恵まれ、日がな一日滞在し村内を見て廻っても、飽きることがなさそうです。 
260年の歴史のある桧枝岐歌舞伎の舞台がありました。山の斜面を利用して造られた石段の観客席は、茅葺の小さな舞台を見下ろしています。民宿のひとに聞きますと、年に二度の公演日には夫々1000人もの観客が集まるとのこと。人口700人の村です。石段の観客席の大きさと配置の巧妙さには、惚れ惚れとしました。女優の女房をもつ仲間の一人に、彼女の一人芝居は如何、と勝手な企画。
日曜日の朝は、前日の雨まじり曇天がうそのように、快晴。御池(みいけ)を7時ちょっとすぎに出発。燧ケ岳の北麓をたどる燧裏林道をとおって、三条の滝、温泉小屋までの往復17㎞前後のコース。7人のメンバーは、元気よく歩き始めました。
登山道に入ってすぐの御池田代を過ぎ、ゆるやかな田代坂の途中に、サンカヨウ(山荷葉)の藍色の実が生っていました。6月の早い時期に開花した植物たちは、そろそろ実を付けはじめました。 
燧裏林道最大の傾斜湿原、上田代は海抜1620mの地点にあり池塘も点在、このコースで花のもっとも多いところでした。遠方の山の眺望もすばらしい。
サギスゲ(鷺萱)が、やわらかく風に舞っていました。ワタスゲと比べ、小穂(ショウスイ)が長く、乱れます。
キンコウカ(金光花)とタテヤマリンドウ(立山竜胆)。こうした小さな花たちが眼を楽しませてくれ、花観賞のため、どうしても遅れ気味。まだ歩き出して1時間しかたっていません。
上田代と横田代のあいだの入深沢の川辺に、白い花が咲いていました。ヤグルマソウ(矢車草)。5枚の葉が、鯉のぼりの矢車に似ているところからこの名前が。
小さな湿原の西田代の池塘には、モウセンゴケ(毛氈苔)が群生していました。褐色の腺毛の先に、小さな水の粒子が付着しています。これ以上細かく出来ないほどに、小さな水の粒です。
西田代を過ぎると、コメツガ・オオシラビソの針葉樹とブナ・ダケカンバなどの広葉樹の原生林が続きます。その足もとの日陰に、ギンリョウソウ(銀竜草)がひっそりと咲いていました。
9時23分、歩き始めて2時間20分ほどで、渋沢にかかる裏燧橋に着きました。標準時間では、1時間20分程度のところ。山野草の花たちに見とれて、1時間もオーバー。リーダーのS君、少し焦り気味で、いつも遅い私とNさんに、教育的指導が入りました。
兎田代分岐からは、急な下り坂。前日の雨で、細い山道はぬかるんでいます。1.2㎞の距離に50分ほどかかり、やつと目的地の三条の滝に到着。10時55分。標準時間140分に対して私たちの記録は230分。道のぬかるみの原因となった雨は、滝に大量の水をもたらし、豪快な落水をみせてくれました。一同いたく満足し、ここで昼食。
三条の滝からやや緩やかな登り道を50分ほど行ったところに、平滑の滝がありました。こちらは、洗濯板のうえを水が流れる感じ。12時35分、折り返し点の温泉小屋に到着。ここは2年前の6月、同じメンバーで宿泊した山小屋です。長老のTさんが夕食後、広大な尾瀬ヶ原に向かって、漢詩を朗々と吟じた懐かしいところです。昨晩は、桧枝岐川にかかる太鼓橋の上で、石川啄木の母を背負う歌を、しみじみと朗詠され、仲間の幾人かが親の介護にかかわっていることもあり、心にしみる詩吟の夕べでした。
温泉小屋の休憩所で一息入れたあと、周りを歩いて見ました。大柄なオオウバユリ(大姥百合)が、数輪咲いていました。花の時期には、葉がほとんど落ちてしまいます。葉が落ちる=歯が落ちる=姥、だとか。色は薄い黄緑色で、おとなしい。
近くにノアザミ(野薊)の群落がありました。写真写りのいい、好きな花のひとつ。また、色鮮やかなヤマオダマキ(山苧環)も数株、可愛い姿をみせていました。
復路は、段吉新道-燧裏林道-御池のコース(標準時間170分)。遠雷が聞こえ始めました。12時50分温泉小屋を出発。段吉新道は、多少の上り下りはあるもののほぼ平準な道で、みんなの脚も心持ち早まります。裏燧橋を渡るころには雷も大分近づき、上田代に差し掛かったときには雨脚も強く、雷も近くに落ち始めました。リーダーの指示で、全員雨合羽を着用、しばらく雷が遠退くのを待って、御池に向かいました。15時45分、全員無事に御池に到着。なんと復路は、標準時間に遅れること、たったの5分。好天と荒天の両方の恵まれた、今年の尾瀬行でした。
帰路、桧枝岐の集落を通り過ぎてしばらくしたところで、小熊が道路を横断していくのを目撃しました。
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